私は、千葉で生まれ、5歳のときにブラジルに渡り、10歳で千葉に帰国。
11歳から京都に住み、中学生から千葉に戻り、大人になりました。
ブラジルでは日本人だといじめられ、千葉ではブラジル帰りといじめられ、京都では標準語だといじめられ、千葉に戻れば関西弁だといじめられてきました。
当時、親を恨んで、「何でこんなに転勤ばかり多いの?」と父親に聞いたとき、「サラリーマンだからしょうがないだろ」と言われたことは、今でも鮮明に覚えています。
それからというもの、
大きくなったら絶対にサラリーマンなんかになるもんか!
絶対に社長になってやる!
って思って生きてきました。
結果、今は小さいながらも社長になれているので、今では笑い話ではあります。
もっといえば、この時に各地でしたたくさんの貴重な経験は、本当にありがたいものばかりです。
ただ、そんな話で終わらせるつもりはありません(笑)
実は、このいじめられてた時期に私が考えたことがあります。
それは、「絶対に人に弱みを握らせない」ということ。
人からの攻撃は、自分の強いところで受ければ痛くないと本能的に察したのかもしれません。
そして、少し大きくなると、「人の川下には立たない」と思ってました。
誰かに何かしてもらわないとできないことがあるのだとしたら、それか不自由だということです。
なので、今でも何が何でも生ききると考えたとき、何が必要で、どうすればいいのかを考えてしまいます。
マズローの欲求5段階説というのがありますが、ご存知でしょうか?
人間の欲求は、生理的欲求・安全の欲求・社会的欲求・承認欲求・自己実現の欲求の5つの階層に分かれており、最下層の生理的欲求から満たそうとするという心理学理論です。
何が何でも生ききると考えたとき、必要なのは生理的欲求・安全の欲求を満たすことということで、自給自足の環境を整えたり、家を買い、電気用に太陽光発電パネルを設置し、水は別途井戸を組み上げたりもしました。
あとは、災害が起こっても大丈夫なように寝泊まりできる車を買い、いつでも、どこでもお金を稼げる術も研究しました。
つまり、もう誰かに強制的に何かをやらされたり、いやいや何かをしなければならない環境に身を置かなくてもいいようになったのです。
この状況になった時の開放感というか、清々しさは今も忘れないし、ストレスフリーな生活もできているので、毎日が非常に楽しくなってます。
先日、『鬼滅の刃』というアニメを見ていた時に、主人公の竈門炭治郎が鬼となった禰豆子を殺そうとする冨岡義勇に土下座して彼女の命乞いをする際、その姿に無力だった頃の自分を重ねたのか冨岡が言い放った台詞「生殺与奪の権を他人に委ねるな!」と言い放ったのを見て、「コレだ!」と思ったので、今後は「人の川下には立たない」ではなく、「生殺与奪権を握らせない!」と言うようにしようと思います。
ネタ元がアニメだと、ちょっとカッコ悪いですかね?(笑)
