私は、迷いは、
思考が生んでいると思います。
自分の思考を自分の感覚が
気付いていることが大切だと思う。
心と繋がっていないと
心からのOKを頂けない。
我々は、日々多くの
悩みを持って生きていますが、
それらの全てが心と
繋がっていないことに
原因があると思っています。
それに気付くと変化が起きると思う。
私は、心に感覚を
意識しているスペースを
確保しておくことの
大切さを感じています。
その意識は、どのようにして
持つことが出来るのでしょうか?
私の場合、悩みを意識した時に
まずその対象を否定している自分に気付きます。
そして、対策を考えている自分がいる。
私は、そこに問題があると感じる。
まず、最初に感覚が
対象をどのように感じたかに
気付いている必要があると思う。
その出発点をしっかりと
持って(観察)いないと
根無し草になってしまう気がします。
その中で、自分の心が感じている
あるがままを観察する。
それを自我が思考で
利己的に捉えようとする時に
感覚そのものとの
断絶が起きていると感じる。
その時意識は、心を感じていないし
心は、思考を受け入れられない。
私の悩みは、私の思考を
心が受け止められない苦しみなのだと思う。
正にその否定的思考が、
悩みの本質だと思う。
それでは、いくら悩んでも
心が落ち付くことはない。
本来の思考は、感覚と繋がり、
心の落ち付きどころを探している。
感覚を意識する時は、
心のニーズに気付けている。
その心を受け止めるか
それとも利己的思考に従うか?
感覚を受け入れたくない時
と言うのは、現実(真実)を否定したい自我が存在する。
我々は、自分を受容して上げない限り
心が、安らぐことはない。
しかし、人は、心の声に気付いているのに
それを敢えて無視しようとする。
感覚を無視することが
自分を不幸にすることなのに
どうしてそれを敢えて
選ぶのでしょうか?
世間体?
我々は、どうして自分の
感覚を大切にせずに
表面的に見られている自分を
調えようとするのでしょうか?
意識の中に感覚と繋がる
スペース(空間)の必要性を感じます。
そのスペースで自分の命の
活き活きさと繋がることが出来れば命は安らぐ。
そこに意識が向かわないと
思考に行き詰まる。
その感覚は、相手の感覚とも
繋がることが出来る。
繋がりの感覚、その思いを生きることが
喜びであることに気付く。
もう一つは、意識の向きに
注意を向けることが大事だと思います。
殆ど全ての人は、自我の世界から
感覚を捉えていると思います。
でも人間は、心の底から
沸き起こって来るエネルギーが
満ちることで喜びを知る。
心から喜べる。
それを自我は、命のニーズと捉えて
思考を巡らせるが、
思考は、そこから離れて
利己的満足を導こうとする。
そこでミスマッチが起こり
苦しみの原因が生まれるだと思う。
ディバイン・エナジーは、
命のエネルギーで、
今ここのこの瞬間にしか
生きていない。
だから、自我的思考は、
本来の命のニーズから離れてしまうと
命は、苦しみを感じて
自我に気付きを求める。
ディバインエナジーと繋がっている時、
迷いも悩む必要も無い。
我々は、ディバインエナジーを
絶えず感じ続けて
命のニーズのままに
変化する必要があると思います。
