ADHDと診断されて

「ほっとした。」と言う

 

高知の財布を販売する

ブランド高知の社長 

 

中島匠一さんのお話に

私は、興味を持ちました。

 

彼は、不登校になって

ADHDだと診断されて

 

気持ちが楽になったと言う。

 

この感覚も同じ自分の

心から沸き起こっている。

 

彼の芸術的感性を

肯定してくれる先生に出会い

 

自分を信頼できるようになる。

 

信頼とは、自分が

自分の感覚を受け入れることだと思う。

 

それまでは、自分の感覚を信じれることが出来ずに、

他人の評価に自分の感覚を拒否しようとしていたと思う。

 

それが、その他人の一人が

自分を認めてくれると

 

自分も自分を

受け入れられる。

 

「私は、宇宙人ではないか」

と言う感覚は、自分が周りの人と違う?と感じる。

 

その感覚は、心からの感覚を

自分が分別して拒否しようとしているのか?

 

自分が、自分を拒否する。

他人が自分を否定する。

 

自分と感覚。

自分とは思考が創り出した思い込み。

感覚は、あるがまま。

 

自分のあるがまま(感覚)を

否定する。

 

その感覚は、自分の命そのもの。

その命のバトンを今自分は受けている。

 

皆不完璧な面を持っている。

完璧不完璧の意識は、

自我の分別、

 

あるがままの自分に

純粋に自然になることの中に

 

生きる意味(使命のようなもの)も

あるのかもしれない。

 

自我は、勝ち残ることが

使命のように感じる。

 

もしそれに負けたら

のけ者になり自分を活かせない。

 

彼は、「意識がみんなと

違うところに飛んでしまっている。」と言う。

 

彼の意識は、彼の心(感覚)と

繋がっていないと感覚自身が感じている。

 

自我は、意識(その主体は魂?)があって、

それと共にあって初めて活きるのだと思う。

 

宗教(真宗)では二心を嫌う。

 

二心とは、あるがままの心と

自我が創り出す思考(妄想)とを峻別する。

 

自分のあるがままを見失って

宗教に逃避しても

 

自我の妄想の苦しみ

からは逃れられない。

 

私は、自分の本心と

出合わなければ

 

人は、助かることは

ないと思っている。

 

彼は、登校するとお腹が痛くなり、

身体が学校を拒絶していると感じる。

 

彼は、学校に行かなければ

人生が終わると言う恐怖心に怯えるが、

 

彼は、不登校になって

ADHDと診断されて「ほっとした。」

 

でも孤独な心は苦しい。

孤独が苦しいから

自分を否定しようとしたが

それも苦しかった。

 

不登校の子供の社会支援センターは、

彼を「あるがまま」を受け入れて

「安心できる居場所」作りを目指している。

 

彼は、そこでは皆と

自然と仲良くなれた。と言う。

 

その「自然と」とは、

心のままの自分、あるがままの自分でいれること。

 

本心(心の声)と向き合う

ことの大切さを感じる。

 

彼は、自分の本心から

湧き出る発想をアートにして

 

面白いと言う認識を

持つことが出来て

 

初めて世の中から

認められたと感じた。と言う。

 

やっぱり人は、社会に

溶け込めないと幸せとは感じれないのだと思う。

 

彼は、アラビア文字風に

丸みのある書体で「高知」と書いてみて、

 

ブランドCOACHとの語呂合わせで

財布を作ったら面白いと直感する。

 

その直感に生きて

その直感を活かすのが

 

彼の使命であり

生きる喜びになるのだと思う。

 

身体からの感覚で

自分の反応が正しかったことを再確認している。

 

彼は、自分のなんでも

肯定してくれた小西先生に

 

「『できない』という弱さを

強みに変えてもらった」と言う。

 

弱さが強みになる。

弱さは思い込みでしかないのだろう。

 

その思い込みが、出来ると言う

思い込みに変わる。

 

彼は、「決められたレールから外れても

人生は終わりではない。実はチャンスかもしれない。」と言う。

 

人生の転換は、この自我の思い込みの壁を破って

真の自己と向き合う事から始まると思う。

 

ADHDと言う枠に縛られることなく

真の自己を生きることは、

 

ADHDであるないにかかわらず

大切なことである。

 

誰の人生にも挫折があり

真の自己に向き合う時がある。

 

でもほとんどの人は、向き合うのが怖くて

誤魔化して人生を終えるのだと思う。