ありのまま

心から沸き起こるままを

 

そのまま感じ

そのままを受け止める。

 

私には、考えと言うか

妄想から意識が抜け出れない。

 

前後裁断と言う言葉があるが、

私は、瞑想で

 

自我意識の思考の縛りを

断つことことが出来る。

 

瞑想をすると

意識を感覚(お腹の動き)に

 

集中してくると

意識が研ぎ澄まされて来て

 

思考が停止した

身心脱落の世界に入り込む。

 

その意識は、空っぽの

器のようで

 

ゆったりとして

全身の力が抜けている。

 

感覚に集中すると

自我の意識(思考)が停まる。

 

すると身体の疲れが

取れるのを感じる。

 

また思考を停めて

感覚に意識を集中していると

 

エネルギーが湧いてくる

ように感じる。

 

思考は、多量のエネルギーを使う。

瞑想は、そのエネルギーの消費を停める。

 

私は、心の感覚に

意識を向けると

 

心からの声を

感じ取る。

 

私は、普段においても

その声と共に生きている気がする。

 

真心(純粋な心)を感じている時

喜びもともに溢れてくるのを感じる。

 

心の奥で私と共にいる

感覚としての心の声がある。

 

心が傷つくのは、

その思い(感覚)と思考が食い違い

 

自我の欲望に

感覚が無視されている時のように感じる。

 

それに応えて心に

純粋であろうと意識しても

 

それは、自我の

誤魔化しでしかないと思う。

 

ありのままの感覚は、

意識して出せるものではない。

 

それは、自我意識が

消えた時に起こる。

 

言葉には、実態はない。

 

今ここの感覚を

ありのままに感じるしかないと思う。

 

素直とは、自我の意識を挟まずに

ストレートに感覚の源と繋がることだと思う。

 

自分の心に素直に生きるとは、

今の私には、その心(如来)に耳を傾けること。

 

真宗では、如来を親様と言う。

 

心の声を感じる時は、

その声に素直に向き合うことが大事だと思う。