心に不安が起こるのは、

どうしてだろうか?

 

私の言動には、

私が意図しない

 

反応が返ってくる。

 

また迷いの思考が

勝手に起こっ来て

 

私は、その思考に

疲れ果てる。

 

私に勝手に起こる

計らい(欲の意識)は

 

仏教で言う

モンキーマインドです。

 

私の心にしっかりとした

目標がある時

 

心は、一心不乱に

突き進めるが

 

目標を持たない時は

意識は、彷徨ってしまう。

 

その意識の彷徨いを

モンキーマインドと言う。

 

私たちは、基本的には、

満ち足りているのですが、

 

欲の意識は、それに

満足しない。

 

私の心の中に、

宝物を見つければ

 

彷徨い歩くこともない。

 

私たちは、考えた

自分になると言うが、

 

何かを求めれば、

訳も分からず探し回る。

 

意識は、執着する性質がある。

それには、二つの方向があると思う。

 

一つは、心の奥底から

沸き起こる(如来の感覚としての)感覚に

答えを見つけて安心すること。

 

もう一つは、答えが分からずに

エゴ(利己心)のままに動く回る。

モンキーマインドです。

 

モンキーマインドは、

自分の思い通りにしようとするので

 

一つの欠点も

許すことが出来ない。

 

それで、私たちは、

ストレスを持ちますが、

 

その時、パニックと戦うと

パニックはより強力な敵になります。

 

もし私が、パニックに

反抗しなくなると

 

パニックが私の

ボスになります。

 

そのどちらも

私にはストレスになる。

 

しかし、パニックを

友達にすると、

 

その友達はすぐに

消えて居なくなってしまう。

 

パニックは、モンキーマインドが

起こしている。

 

もし私が問題を信じれば、

問題は私のボスになる。

 

もし私が問題を嫌ったら、

問題は私の敵になる。

 

もし、問題が私の

友達になったら、

 

私は、色々なかかわり方で

問題と仲良くできる。

 

問題とは、私の心をかき乱す

モンキーマインドに振り回される私です。

 

瞑想は、問題と友達に

なるための良い方法です。

 

痛みは、普通は問題ですが、

痛みと友達になると

 

痛みから私は、

学ぶことが出来る。

 

もちろん痛みはあります。

 

しかし、私にとって痛みは、

不幸の原因ではない。

 

痛みにとっても私が

友達であることは良いことです。

 

凡人閑居して、モンキーマインドは、

不善をなします。

 

私の人生において

私自身がボスに成らなければ、

 

モンキーマインドが

私を支配して暴れまわってくれる。

 

そして、そのために私は、

へとへとに疲れてしまう。

 

もし私が、その

モンキーマインドに気付けると

 

私は、それを観察し、

 

その観察する意識は、

モンキーマインドのボスである

 

瞑想は、思考(モンキーマインド)を止める

手段としては、最高である。

 

我々は、力によって

モンキーマインドを

抑えることは出来ない。

 

モンキーマインドと友達になるには、

どうすれば良いでしょうか?

 

モンキーマインドは、思考を

巡らす役割を持っています。

 

そして休みなしに働いています。

暇なお時は、特にいらぬ仕事をする。

 

モンキーマインドに

仕事を与えてやると

 

モンキーマインドは、

仕事が出来て幸せに感じる。

 

そして、私自身も

モンキーマインドに

 

惑わされなくなって

幸せになれる。

 

そして、私は、

モンキーマインドのボスになり

 

もうモンキーマインドは、

私のボスではない。

 

私とモンキーマインドとは、

ウインウインの関係に変わっている。

 

自分のモンキーマインドに気付くと

苦しむ自分から

 

抜け出す道に

気付けるかもしれません。

 

そしてモンキーマインドのボスである私は、

私を見守ってくれている

 

私の心の奥に存在する

如来を信じている。