夢中になっている時
自分と言う意識がない。
自分と言う意識、
自我(エゴ)が
我々の心に
悪さをする。
自分が良ければ
それでいい的考えが、
返って自分に
阻害意識を産む。
自分が無ければ、
意識は、あるがままを感じて
あるがままに反応する。
恋にもあるがままに
生きようとする。
自我の計らいは、
恋を純粋でなくする。
純粋でないと
恋に純粋であることが出来ない。
疑心暗鬼を起こす。
本当の心を汚すことを
すべきではない。
心に純粋であることが
心の幸せである。
心は、心の底から沸く思いを
感じ受け止めるところである。
心から純粋に
沸き起こっていない思いは
恋とは言えない。
私の意識しない感覚が、
突然私の意識に現れる。
その戸惑いによって
私は、命の意思に気付く。
衝動は、感覚に従うように
私を催促している。
理性は、その衝動を
抑えようとする。
理性が働いている間は、
その情動は、均衡を保つが、
マグマは、いずれ
噴き出してくる。
恋と言う、生きるエネルギーは、
自我の理性を打ち破る。
我々は、自分の意思と
違う力に突き動かされて
命の役割を
生きることを強いられる。
その瞬間に我々は、
夢中になれるのだと思う。
命が生きることと
私が生きることとは違う。
私が無い時に
命は、活きている。
そこに永遠の今
三昧の世界
エクスタシー法悦
もあるのだと思う。
