私の心が
記事の変更を求めた。
私は、心のままに従う。
私には、心の感覚と
思い込みがあるようだ。
心の感覚をそのままに
受け止めれば、
それが思いになるのに
思い込みが、私を縛っている。
思い込みは、体験から感じ取ったものを
思考が歪めて
そう思い込もうとする。
そうするとあるがままの
感覚を受け容れなくなる。
私自身が変わりたい感覚を
無視していることに気付く。
私の人生が
思った程変わらなかったのは、
思いを素直に
受け止めなかったためだ。
思いが現実なのに
その現実をあるがままに受け止めていない。
変わりたい自分と
どうせだめだと思い込む
自分との葛藤が起こって
変化の時を失う。
そして後悔する
人生だったと思う。
私には、私を押さえつける自分がいた。
私には、自分が押さえつけられた体験がある。
自分の気持ちに
素直に有れていたら
変わっていたかもしれないが、
その時、私には、
自分を押さえる力が働いてしまい
変われない現実があった。
変わりたい気持ちを
受け止めれ切れなかった。
そして、その思いも
時間とともに薄れて
消えて無くなる。
変わろうと思う自分は
変わって欲しいと感じる感覚から来ている。
しかし、その瞬間に感じる感覚と
思いとはずれがある。
思考は、感覚を
理解しようとして間が抜ける。
感覚は、今この瞬間に
変化し続けている。
私の意識は、心を捉えるが、
意識は、思考に向かう。
私の思考(妄想への逃避)は、
あるがままの感覚を歪めようとする。
私の場合は、父の虐待から
自分を守ったと思っていたが、
もしかすると違う
のかもしれない。
イルカとのふれあいで
自分の感覚に気付くセラピーがある。
純粋にあるがままの感覚を
体験することは大切である。
音楽や美術、スポーツでも良いが
自分の感じた感覚を受け止め
自分自身と一体になる
感覚を持つ体験は大切だと思う。
そして、自分の感覚に
一番フィットする自分を生きたいと思う。
迷うとは、自我が
感覚を見失うことだと思う。
心が求めているものを
意識が思考で
掴み取ろうとすると
間抜けになる。
感覚を解放させることが大切である。
意識は、一つのことにしか
集中できない。
しかし、感覚は、
全てを感じ取ることが出来る。
思考で分かるのは、
知識と体験したことだけである。
感覚は、本来の自分
そのものの表現である。
感覚の自然に流れるままに
その流れに乗る
川の流れのように。
私は、自然を
美しいと感じる。
そこにも感覚からの
使命も隠されていると思う。
そして、その感覚に
生きるように求めている。
その思いに従う時
私の心にやすらぎを感じる。
私のエゴは、私が自分の身を守るために
身に付けた鎧(習慣)であるが、
私があえてそれを求めるのは、
私の弱さを隠すためである。
私は、自分のエゴを捨てて
感覚のままに生きれることが幸せだと思える。
そこには、変わることを求める
自分もいなくなるだろう。
