24歳・月3万円から始めて、40歳で「年間900万円貯蓄」を実現するまでのリアルストーリー

「自分なんて、月3万円貯金するのが精一杯だし」「投資とか不動産なんて、遠い世界の話だろうな」。
社会人になりたての24歳の頃、私は本気でそう思っていました。
それから十数年が経ち、今、私たち夫婦は本業の給与収入だけで年間900万円を貯蓄に回せる家計をつくっています。
この間に何があったのか。
それは「才能」でも「一発逆転」でもなく、月3万円の地味な貯金と、自己投資と、固定費の最適化と、コツコツ続けたインデックス投資、そして1億円の不動産賃貸業モデルだけでした。
ここでは、きれいごと抜きで、24歳の月3万円貯金から40歳の年間900万円貯蓄までのリアルなプロセスを、できる限り具体的な数字と体験談でお話しします。

24歳、月3万円しか貯金できなかったあの頃のリアル

24歳で社会人になったばかりの頃。
手取りは20万円ちょっと。
自分の感覚としては「なんとか一人暮らしできるかな」というギリギリのラインでした。
家賃は6万円、駅から少し離れた、決して新しくはないけれど、暮らすには十分な1Kの部屋。
仕事を終えて夜遅くに帰ってくると、玄関の電気をつけると同時に、部屋全体が一気に明るくなるような、そんなコンパクトな空間です。

冷蔵庫には、数日分の食材と格安スーパーで買った特売のお肉。
コンロは二口ではなく一口。鍋とフライパンを同時に使うことはあきらめて、「今日は鍋だけ」「今日は炒め物だけ」とメニューが決まっていきます。
給料日が近づくと財布の中身は心もとない。
それでも、「毎月3万円だけは、絶対に貯金する」と決めていました。

やり方はシンプルでした。
給料日になったらすぐに、給与口座から別の貯金用口座に、3万円を自動で振り替える設定にしておく。
先に3万円を“逃がして”しまう。
そして残ったお金で1ヶ月を乗り切る。
逆に言うと、この3万円を先に逃がしておかなければ、私の性格ではきっと全部使い切ってしまっていたと思います。

同僚との飲み会は、全部を断っていたわけではありません。
会社の付き合いもあるし、仲の良い友人と飲む時間も大切でした。
ただ、毎回二次会・三次会まで行くようなことはせず、「今日は一次会だけで帰ろう」と決める。
服だって、毎シーズン新作を買うわけではありません。
ユニクロと無印良品を中心に、最低限のアイテムを着回す。
派手さはないけれど、清潔感だけは保つように意識していました。

この頃の私は、「貯金=我慢」だと思っていました。
でも今振り返ると、実はそうではなかったのだと気づきます。
貯金とは「未来の自分にお金をプレゼントしている行為」だったのだと。
当時の私はまだ、その意味を理解していませんでしたが、「月3万円を先に避難させる」という習慣だけは、誰にも奪われない“資産形成の土台”になっていました。

ボーナス70万円と、ECC中国語50万円コースの決断

月3万円の貯金を続けて2年ほど経った頃。
通帳を見ると、貯金額は70万円近くに増えていました。
24歳の自分にとって、「70万円」という数字は、とても大きく見えました。
ゼロから積み上げたお金。
親からもらったわけでも、誰かにプレゼントされたわけでもなく、自分の給料からコツコツと積み立てた、文字通り「自分の汗の結晶」です。

通帳の数字を眺めながら、ふとこんな考えが浮かびました。
「このお金、どう使おう?」
もちろん、このまま貯め続けて100万円、200万円と増やしていくこともできます。
でも心のどこかで、「このお金を、今の自分を変えるために使いたい」という気持ちが湧いてきました。

当時、私は海外に関わる仕事に漠然とした憧れを持っていました。
海外出張、海外展示会、外国人とのやりとり。
テレビや雑誌で見る「海外ビジネスマン」の姿に、どこか自分も近づいてみたいと思っていたのです。
ただ、そのために何をすればいいのか分からない。
英語は中学高校で習っただけ、仕事で使えるレベルには程遠い。
そんなとき、通勤電車の中でふと目に入った広告がありました。

それが、ECCの中国語コースのポスターでした。
鮮やかな赤い背景に、中国の街並みと笑顔の講師の写真。
「今、中国語を学ぶ人が増えています」「ビジネスでも旅行でも役立つ中国語」――そんなコピーが並んでいました。
ポスターを見た瞬間、「あ、これだ」と思いました。

当時から中国・アジア市場の存在感は大きく、ニュースでも「中国の経済成長」「アジアの需要拡大」といった言葉を見ない日はないくらいでした。
「これから先、アジアと関わる仕事は確実に増える。英語だけでなく、中国語が話せたら強いはずだ」
そう直感したのを覚えています。

ECCに問い合わせて、カウンセリングを受けてみると、提示されたのは約50万円のコースでした。
最初、頭が真っ白になりました。
「50万円…? 今まで2年かけて貯めた70万円の、ほとんどじゃないか…」
説明を受けている間も、心の中ではずっと数字が回っていました。

家に帰って、ひとりで夜の部屋で考えました。
机の上に通帳を置いて、残高70万円の数字を何度も見つめながら。
「ここで50万円を使えば、またほとんどゼロからやり直しになる」
「でも、今このタイミングで中国語を本気で学べば、将来の自分の仕事は大きく変わるかもしれない」
「貯金を守るか、将来へのチャンスに投じるか」――その二択の狭間で、心が揺れ続けました。

最終的に私が出した答えは、こうでした。
「お金は、また貯め直せる。でも、20代前半の時間は二度と戻ってこない」
その瞬間、私はECCの中国語コースに申し込むことを決めました。
翌日、契約書にサインをして、50万円という数字が自分の貯金から消えていくのを見ながら、それでもワクワクしていた自分を今でもはっきり覚えています。

貯金がほぼゼロに戻っても、「月3万円の習慣」は守り続けた

ECCの中国語コースに申し込んだことで、通帳の残高は一気に減りました。
70万円あった貯金は、数十万円を残す程度に。
世間的に見れば「もったいない」と言われる選択かもしれません。
実際、周囲の友人からは、
「せっかく貯めたお金を使っちゃうの?」
「何かあったとき大丈夫?」
と心配されたこともありました。

でも、不思議と自分の中には後悔の感情はありませんでした。
むしろ、「ここからまた積み上げていけばいい」という前向きな気持ちの方が強かったのです。
なぜかというと、すでに「月3万円を貯金する」という習慣が体に染みついていたからです。

貯金額が70万円から20万円台に減ったとしても、やることは変わりません。
給料日が来たら、まずは3万円を貯金用口座に移す。
残ったお金で家賃を払い、食費をやりくりし、少しだけ趣味や交際費に回す。
生活の“型”は、何も変わらないのです。

ここでひとつ、大切なことに気づきました。
貯金を増やすうえで一番大事なのは、「いくら持っているか」よりも、「毎月いくら積み上げる習慣を持っているか」だということです。
どれだけ大きなボーナスを一度もらっても、習慣がなければ、きれいに消えてしまいます。
逆に、毎月の小さな積み上げの習慣さえあれば、一時的に残高が減っても、また元に戻せる。

貯金の本質は、「残高」ではなく「リズム」です。
月3万円という金額自体は小さいかもしれません。
しかしそのリズムを止めないことが、将来の大きな差になります。
私はこの時期に、まだはっきりと言語化はできていなかったものの、「習慣さえあれば、何度でも立て直せる」という感覚を手に入れていました。

中国語の勉強が「チャンスの見え方」を変えてくれた

ECCでの中国語学習は、正直、簡単ではありませんでした。
最初の授業では、講師の中国語がほとんど聞き取れず、頭の中が真っ白。
「本当に自分にできるのか…?」と不安になりながらも、テキストを開いてはピンインを覚え、発音を何度も繰り返しました。

平日の夜、仕事を終えてからスクールに通う日々。
疲れた体に鞭を打って教室に入り、発音練習で口の筋肉が痛くなるまで繰り返す。
家に帰ると夜の22時を過ぎていて、そこから軽く食事をして、翌日の準備をする。
「何でこんなに大変なことをしているんだろう」と、ふと天井を見上げてため息をついた夜も、正直、何度もありました。

それでも、続けました。
講師の先生が、中国の文化やビジネスの話をしてくれる時間が、心から楽しかったからです。
「中国ではこういう時はこう言うんですよ」
「ビジネスの場でこの表現を使うと失礼になります」
ただ言葉を学ぶだけでなく、その言葉の背景にある価値観やマナーを知ることができたのは、今の仕事にも直結しています。

少しずつ中国語が聞き取れるようになると、不思議なことが起こります。
街中で聞こえてくる中国語の会話に、なんとなく意味の断片が分かるようになってくる。
海外ニュースで流れる中国の企業名や地名が、急に身近に感じられる。
世界地図の中で、「アジア」が自分の延長線上にあるような感覚が生まれてきました。

ここで、ひとつ大事な変化が起こりました。
それは、「自分にとってのチャンスの見え方」が変わった、ということです。
以前の私は、「自分の仕事の選択肢=日本国内の範囲内」と考えていました。
しかし、中国語や海外の情報に触れる中で、
「いつか海外展示会に行けるかもしれない」
「海外の取引先と直接やり取りできるようになるかもしれない」
と、将来のイメージが広がっていったのです。

お金の使い方には、大きく分けて2種類あると思っています。
ひとつは、その場で消えてしまう「消費」。
もうひとつは、未来の自分の可能性を増やすための「投資」
中国語に投じた50万円は、まぎれもなく後者でした。
この自己投資が、のちに本業の収入アップにつながり、資産形成を加速させる“最初の歯車”となっていきます。

31歳、貯金180万円と「二人暮らし」のスタート

中国語に自己投資をしながらも、私は月3万円の貯金習慣を維持し続けました。
生活レベルを極端に上げることはせず、「先取り貯金をしてから残りで暮らす」というルールを守る。
このシンプルなルールを守り続けた結果、31歳の頃には貯金額は約180万円になっていました。

もちろん、180万円という数字は、資産形成全体から見れば「まだまだ途中」かもしれません。
でも、24歳の自分から見たら、それは立派な金額でした。
自分ひとりで積み上げてきた180万円。
それは、単なる「お金」以上の意味を持っていました。

そして、この頃から、私の人生にもうひとつの大きな変化が訪れます。
それが、「二人で暮らす」という選択でした。

二人暮らしを始めると決めたとき、最初は「家計に余裕ができるかどうか」なんて、そこまで深く考えていたわけではありません。
ただシンプルに、一緒に過ごす時間が増えることが嬉しかった。
それだけでした。

しかし、実際に生活を始めてみると、数字の面でも大きな変化がありました。
家賃は一人暮らしのときより少し高くなり、6万円から9万円へ。
でも、1人あたりで見れば4.5万円です。
光熱費も、水道代・電気代・ガス代を合わせて、1人暮らしの時より少し増えた程度。
通信費も、Wi-Fiを共有することで効率よく抑えられました。

何より大きかったのは、「支出が2倍にはならないのに、収入は2倍近くになる」という構造です。
共働きであれば、世帯としての手取り収入は2倍近くになる一方、家賃や光熱費などの固定費はそこまで増えません。
この「固定費の共有」の威力に気づいたとき、私は正直、家計簿を見ながら驚きました。

二人暮らし=お金がかかる、というイメージを持っている方も多いかもしれません。
しかし実務的な家計の観点から見ると、「適切な家賃水準で共働き二人暮らし」をすると、むしろ資産形成にとっては圧倒的に有利になります。
1人あたりの固定費は下がり、世帯収入は増える。
この構造に気づけたことが、後の資産形成において非常に大きな意味を持ちました。

月3万円から月10万円へ──貯金ペースが一気に跳ね上がる

二人暮らしを始めてから、私の貯金ペースは大きく変わりました。
一人暮らしの頃は月3万円が限界だった貯金が、二人暮らしになると月10万円へ。
そして、妻も同じくらいのペースで貯金をしていたので、夫婦としては「月20万円の貯金」が当たり前になっていきました。

もちろん、ここでも大切にしていたのは「生活レベルをむやみに上げない」ということです。
例えば、二人暮らしになったからといって、いきなり高級マンションに住むのではなく、収入に対して無理のない家賃の部屋を選ぶ。
外食も、毎週のように高級レストランに行くのではなく、「たまのご褒美」の楽しみにしておく。
日常の大半は、自炊と近所のリーズナブルなお店で十分満足できていました。

二人で一緒に家計簿アプリを眺めながら、
「今月はこれくらい貯められたね」
「来月はここを少し工夫してみようか」
と話し合う時間は、私たち夫婦にとって、単なるお金の管理以上の意味を持っていました。
それは、「一緒に未来を作っていく感覚」を共有する時間だったのです。

この頃から、私は本格的にインデックス投資にも取り組み始めました。
最初は月数万円から。
S&P500や全世界株式(オルカン)に連動する低コストのインデックスファンドを選び、毎月自動で積み立てる設定をしました。
当初の評価額は、少し増えたり少し減ったりを繰り返す程度。
正直、「増えている実感」はほとんどありませんでした。

しかし、ここでもキーワードは同じです。
「とにかく続ける」
急激に増やそうとせず、相場に一喜一憂しすぎず、淡々と積み立てを続ける。
この「地味な積み上げ」が、後になって爆発的な差を生むことになります。

営業の現場で気づいた、「商品を売っているわけではない」という事実

家計の土台が少しずつ整ってきた頃、私は本業の営業の仕事にも、これまで以上に真剣に向き合うようになっていました。
きっかけは、とある先輩営業との会話でした。

ある日の夕方、商談帰りに先輩と一緒に会社に戻る途中、カフェで一息つくことになりました。
コーヒーを飲みながら、その先輩がふとこんなことを言ったのです。
「営業ってさ、商品を売ってるように見えるけど、本当は自分自身を売ってる仕事なんだよね」
その言葉が、なぜか心に強く刺さりました。

それまでは、「商品のスペックを覚えること」「競合との違いを説明できること」が営業の中心だと思っていました。
でも先輩は、こう続けました。
「もちろん商品の知識は大事。でもさ、最終的にお客さんが選ぶのって、“この人から買いたいかどうか”なんだよ」
「似たような商品が並んでいる時、お客さんは“どの会社”より“どの担当者”で決める。だから、一番大事なのは信頼なんだよね」

この会話をきっかけに、私は営業という仕事に対する見方を根本から変えていきました。
それまでは、「どう売るか」「どう説得するか」という視点が中心でした。
しかしそこからは、「どう信頼を積み上げるか」「どう誠実さを伝えるか」という視点に変わっていったのです。

私はこの頃から、本を読み漁りました。
営業、マーケティング、心理学、行動経済学、人間関係、交渉術…。
ただ読んで終わるのではなく、「明日の商談でどの一文を試すか」という目線で本を読むようになりました。
本で学んだことを商談で試し、結果を振り返り、うまくいったパターンをノートに書き溜めていく。
この「インプット → 実践 → フィードバック」のサイクルが、本業の収入アップにつながり、やがて資産形成のスピードを大きく引き上げることになります。

重要なのは、ここでも「特別な才能」は必要なかったということです。
必要だったのは、誠実さと、地道な反復だけでした。
毎日少しずつ良くなろうとすること。
相手の立場に立って話を聞くこと。
短期的な数字よりも、お客様との長期的な関係を大事にすること。
これらの姿勢が積み重なった結果として、本業の収入は少しずつ、しかし確実に伸びていきました。

この「本業の伸び」と「家計の固定費の最適化」と「インデックス投資の積み上げ」が、後に年間900万円の貯蓄という数字につながっていきますが、その話はまた次のセクションで、さらに具体的な数字とともにお伝えしていきます。

仕事に向き合った時間が、いつの間にか「自分自身の価値」を育てていた

世の中には「営業は売上がすべて」「営業マンは数字で語れ」といった言葉があふれています。
私も若い頃はその言葉を真に受けていて、とにかく商品を売らないと評価されない、結果を残さないと価値がない、そんな風に思い込んでいました。

けれど実際に現場に立ち続けて気づいたのは、営業という仕事は、商品を売る仕事ではないということでした。
どれだけ良い商品でも、どれだけ優れたスペックでも、そこに「信頼して任せられる相手」がいなければ、顧客は動かない。契約書にサインを書くのは、商品に対してではなく、目の前の“人”に対してなのだと知りました。

顧客は、商品の奥にいる「あなた」を見ています。
その姿勢、考え方、誠実さ、情熱、責任感。
一つひとつは目に見えないものですが、それこそが市場価値になるのだと、私は営業を続けながら痛いほど学びました。

営業は、商品を売るのではない。自分を売るのだ。
これは、20年以上働いてきた私の中で、今でも一番揺るがない真実です。

私は宝飾の卸売という、ある意味で“華やかな世界”にいながら、実際の仕事はとても泥臭いものです。
取引先への訪問、展示会での商談、中国や香港への出張、取引条件の調整、在庫の管理、仕入れの交渉……華やかさとは真逆の努力が積み重なっています。

でも、どれだけ忙しくても、取引先からの「あなたが担当なら安心」という一言が、ときにはどんな報酬よりも心に響きました。
顧客との信頼というのは、お金では買えないし、ましてや一夜にして完成するものではありません。
ゆっくり育ち、じわっと広がり、気づけば自分の人生を大きく支えてくれる“資産”のようなものです。

30代を迎える頃、私はようやく自分の仕事のスタイルというものが確立してきました。
一言でいえば、「誠実であること」。
約束を守る、嘘をつかない、顧客が損をしそうなときは必ず止める、そして長く付き合える関係を大切にする。
当たり前のことばかりですが、当たり前だからこそ価値があるのだと感じています。

収入が伸びはじめたのは、“お金より信頼”を優先した頃だった

不思議なことに、収入が大きく伸び始めたのは、「お金よりも信頼を優先する」と決めてからでした。
20代後半から30代前半にかけて、私はたくさん本を読み、自己投資をして、ひたすらインプットとアウトプットを繰り返していました。

ビジネス書、心理学書、哲学、マーケティング、財務、営業、コミュニケーション。
片っ端から読み漁り、メモを取り、自分の現場に落とし込み、試しては改善を重ねました。

ある展示会で、お付き合いの浅いお客様がぽつりとこんなことを言ってくれました。
「君は嘘がない。だから話していて楽なんだよ」
その言葉は今でも記憶に残っています。
私は営業としての能力を見せようと力を入れていたわけではありません。
ただ、誠実に、丁寧に、真剣に対応していただけでした。

人は、誠実な人に惹かれます。
嘘をつかない人に、無理をしない人に、きちんと説明をしてくれる人に、信頼を預けます。
それは時代が変わっても、技術が発達しても、AIが普及しても、決して変わることのない「普遍の原理」です。

私はこの頃から、仕事がどんどん楽しくなっていきました。
顧客からの紹介が増え、社内での評価も高まり、年収も上がり、責任ある仕事を任されるようになりました。
そして気づけば、家庭の貯蓄額が年間900万円になっていました。

最初の1000万円を貯めるのに、10年以上かかった。
でも、今は1年で1000万円が貯まる。
この変化は、奇跡でも才能でもなく、習慣と積み上げの結果です。

20代の頃、毎月3万円の貯金が精一杯だった自分が、今は信じられないほどです。
けれど、過去の私がいなければ“今の私”は存在しません。
あの小さな積み上げが、今の大きな成果につながっています。

そして「資産形成」という新しい挑戦が始まった

仕事が安定し、収入が増え、家庭も安定し始めた頃、私はもう一つの挑戦を始めました。
それが、インデックス投資と不動産投資です。

インデックス投資は、私がまだ給料が低かった20代の頃から続けてきたものでした。
毎月の積立額は小さくても、時間を味方につけて積み上がる。
市場平均を愚直に取りにいく、再現性の高い投資。
“売らない”ことこそが最大の武器になる投資です。

そして、30代後半で始めたのが不動産賃貸業。
私は数字を何度も何度もシミュレーションし、書籍を読み漁り、専門家の話を聞き、成功しているオーナーの事例を研究しました。

不動産は怖いと感じる人も多いでしょう。
たしかにリスクはあります。
しかし、正しい知識と健全なシミュレーションがあれば、給与に次ぐ“第二の収入の柱”になり得ます。

私が採用したのは以下のモデルです。

■ 収益不動産モデル(固定条件)

  • 物件価格:1億円
  • 諸費用:500万円(総額1億500万円)
  • 自己資金:1000万円
  • 融資:9500万円
  • 金利:2.3%/35年ローン
  • 年間家賃収入:700〜750万円(例:1LDK×9戸、家賃6.5万円)
  • 年間経費:150〜200万円
  • 年間ローン返済:465万円
  • 年間CF(手残り):約150万円

このモデルで大切なのは、「キャッシュフローがプラスであること」「立地が良いこと」「出口も計算しておくこと」。
いずれも、一時的な感情や勢いではなく、データとロジックで判断することがすべてです。

インデックス投資と不動産投資。
この2つを掛け合わせることで、私たち夫婦は“給与に頼らない選択肢”を手に入れ始めました。

続きはさらに深く、実際の数字、家計管理、心の変化、そして「働き方がどう変わっていったのか」まで丁寧に書いていきます。

▼公式サイトはこちら
共働きサラリーマン資産家夫婦の売らないお金の学校