「生きる」ことと「生き方」はどちらが大切か?(240616) | ネオ仏法(別館)

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「生きる」ことと「生き方」はどちらが大切か?という、「鶏が先か、卵が先か」みたいなテーマを選んでみました(笑)。

生きなければそもそも「生き方」云々をどうこうすることもできないのですから、順序的に考えれば「生きる」ことが優先であるように思えます。

それはもちろんそうなのですけどね。

ただ、そもそも「生きる」とはどの範囲のことを言っているのか?というスピリチュアル的な問題があります。

当サイトでも繰り返し、お話ししているように、生命というのは今回の地上に生れた人生だけでなく、過去現在未来を通じて、文字通り「生き通し」の命なのです。

そう考えると、このテーマは、より正確に言えば、「今回の人生を”生きる”」ことと「今回の人生を”よりよく生きる”」のはどちらが大切か、という問題であることが分かります。

つまり、単に「生きている」だけでは、そもそもわざわざ輪廻して地上に生まれてこなくても良かったわけです。

もし「ただ漫然と過ごしているだけ」の状態では、もしかしたら、さらに「わるいカルマを重ねているだけ」の人生になっている可能性がありますね。

そのように考えると、今生わざわざ地上に肉体を持って生まれてきったということであれば、やはり、「よりよく生きる」ことが先決であろうと思うのです。

これは生まれてくる前の人生計画も大事ですが、(今なかなかそれが分かりにくいかもしれませんけれども)、やはり、時折、「自分はよりよく生きているかな」という振り返りが大事だと思います。

RPGゲーム的に言えば、「今回の人生でポイントを貯めてきているのかな?」という振り返りです。

ゲームをやるたびにポイントがすり減っているのではどうしようもないですよね。

まあ・・・ゲームなら楽しければそれでいいのかもしれませんが(笑)、やはり人生はゲーム以上のものがありますので。

そういうわけで、私としては、「生きる」ことより「生き方」が大切だ、というふうに考えてみたいと思います。

みなさんはいかがでしょうか?

最後にソクラテスの有名な言葉を引用しておきます。

「世にも優れた人よ、君たちは知力においても武力においても、アテナイというもっとも評判の高い偉大な国家の一員でありながら、お金ができる限り多く手に入ることには気を使い、そして、評判や名誉には気を使っても、知恵や真実には気を使わず、魂をできるだけ優れたものにすることにも気を使わず心配もしないで、恥ずかしくはないのか」(『ソクラテスの弁明』)