兄貴のバイク
4月に心筋梗塞で親愛なる兄貴分が亡くなり、長崎に置いてあったZZ-R1100を私が取りに行き、私の実家で、しばらく、預かることにしたのですが、先日、兄貴の奥さんと電話で話し、結局、私が譲り受けることになりました。本当はどうしようか、迷ったんですけどね。兄貴なら、多分、「売って、金に変えろ!」と言ったと思うのですが・・・。亡くなって、すぐのときは、(できれば、兄貴のバイクを引き取って、いずれ、兄貴の子供達が乗れるくらいになったときに、引き渡すことができたら・・・。)と思っていたのですが・・・。長崎から愛知までの走行中、関門海峡を抜けたところで、以前、兄貴が指摘していたフロントフェンダー部分のビスが破損。兄貴の実家の高知で1度は修理してあったはずなのですが、やはり、振動でビスが緩み、外れてしまいました。結局、スピードダウンを余儀なくされ、ガムテープで貼り合わせて、なんとか、だましだまし、1000キロ近い距離を走って来ました。それでも、昼間なら、まだしも、日没で、フロントフェンダーが見えない状況での走行というのは、やっぱり、不安でした。兄貴も、同じような状況で、高知まで、不安とフラストレーションを抱えながら走ったのだろうなと思います。でも、夜、兄貴のバイクを走らせているとき、逆に、何か、自分に問われているような気もしたんですよね。いくら大事にしているからといっても、機械というのは、いずれ、寿命がくる。走るバイクとして、長持ちさせようと思えば、それなりに整備に費用を費やさなければいけない。おまえには、それだけの覚悟ができているのか?と。実家に着いて、翌日、バイクを磨き、チェックしていると、走っているときには気がつかなかったのですが、リアホイールをまわすと、チェーンスプロケットが遅れて回りだす始末。これも、今、考えると、ちょっと、危なかった。下道を走らず、高速で、さほど、ペースを上げなかったのは結果的に正解だったようです。バイクを洗って、磨きながら、なんというか、バイクを通して、まるで、兄貴が教えてくれているような錯覚さえ受けました。人間にとって、本当に大切なものは、物に執着することではなく、楽しい瞬間を過ごしたときの記憶なんだよと・・・。人間、いくら財を成したとしても、その財は決して、あの世にはもってはいけないんですよね。しかし、楽しかった時間、感動した瞬間の記憶。これはいくらでも、もっていくことができるんだと。そして、それは決して、誰にも奪うことができないとも・・・。だいたい、自分のバイクでさえ持て余している私が、このバイクを譲ってもらったところで、このバイクを存分に動かしてやるのは、もしかすると難しいかもしれない。むしろ、ZZ-Rが好きだという方に、このバイクを譲り、バイクとして利用された方が物事に理にかなっているのかなとも思えたのですが・・・。そう、頭では判っていながらも、しかし、やはり、あのZZ-Rはまぎれもない兄貴のバイク。やはり、時間の許す限り、息を吹かせてもやりたいという気持ちも。そんなこんなで、自分の中の決意がはっきりしないまま、時間が流れ、兄貴の奥さんに電話をかけてしまっていました。「バイクの件なんですけど・・・。やはり、高く売れるのであれば、そちらの方がいいのかなと思うんですけど・・・。ただ、もし、安い値段しかつかないということであれば、私が引き取りたいです・・・。」すると、奥さんは「私と結婚する前から乗っているバイクですし、かなり、古いんですよね。で、バイク屋さんにも回ってみたんですけど、あまり、高い値段はつかないだろうと。で、いろんな人に相談してみたんですが、ttassenさんにお譲りしてもいいんじゃないのと・・・。」本当は奥さんが、兄貴のバイクを手元に置いておきたかったそうです。しかし、大型はおろか、普通二輪の免許さえもっていない奥さんが維持し続けるのは無理だろうと周囲から反対されたそうです。そして、奥さんが出された結論が私に譲るというものでした。あのとき、私はなんというか、自分で結論が、まだ、出せていませんでした。なんという、奥さんに判断を委ねている、ずるい自分がいたんです。それに、おそらく、バイクを手放さないというのも、兄貴の本意でないであろうこともわかってはいるんですけど・・・。とはいえ、やはり、自分も兄貴のバイクが他人の手に渡るということが、100%納得できて、あきらめられるのかといえば、やはり、諦めきれない部分もあるわけで・・・。なんとも情けない自分ですが、結局、これからも自分でできる限りの手入れをして、兄貴のバイクを譲り受けることにしました。そして、理想は、いずれ、兄貴の子供達に、「これが、お前たちのお父さんのバイクだぞ!」と見せてやることができればと思っています。