鈴鹿はしばしの眠りへ・・・
今年も夏場は留守が多かったので、当然、GPの情報も浦島太郎。鈴鹿の改修もぷるんさんの旦那さんのサイトで初めて知った有様。で、今回の全日本は単なる全日本ではなく、今の鈴鹿のコースでは見納めということになり、来季、国際レーシングコースは装いも新たに生まれ変わることになるそうです。ということで・・・・・。「鈴鹿へ行ってまいりました!!!!」昼のピットウォークでピットの方を歩いていたら、2組くらい、鈴鹿の思い出について、インタビューしてましたが、(そんなの、俺に聞けば、20分でも30分でもしゃべってやったのに!)と一人、思っていたのはさておき。私が初めて、鈴鹿でレースを見たのは、86年の全日本TT-F1最終戦。そのときは、ヨシムラの大島行弥選手がブッチギリ。そのあとをモリワキの樋渡選手が追うという展開でした。で、88年の日本GPを皮切りに、8耐と観戦し、GPについては、2003年までは、99年の茂木も含めて、皆勤賞で観戦いたしました。90年に初めて観戦した、F-1では鈴木亜久里の3位表彰台。93年は西コースから雨が襲来し、その雨を見方につけて、マクラーレン・フォードのセナが快走。GP,F-1,8耐、など、いろいろと思い出はありますが・・・・。例えば、今日、500のデモランをされた平さん。88年の8耐。終了10分前。2コーナーポスト付近でマシンが止まり、またも、8耐でリタイヤ。鈴鹿の観衆のほとんどが落胆したシーンでした。89年のとき日本GPの予選、最終セッション。あの前人未踏の2分11秒台のシーンは今でも覚えています。平さんの場合、スタートで失敗した後、後方から追い上げ、プッツンと切れたときの、あの鬼のような走りは本当にスゴカッタ・・・。(89年は逆にスタートが良かったのが良くなかったのかな・・・。あはは。)89年、シュワンツとレイニーの伝説のバトル。91年。125cc。上田の意外な優勝。500cc。シュワンツ、レイニー、ドゥーハン、コシンスキーの四つ巴の中から、シュワンツが抜け出し、またも、シュワンツの劇的な勝利。92年。それまでで、一番ひどい、ウェットレース。ドゥーハンの独走を尻目に、ガードナーがスクリーンの割れたNSRで後方から鬼のように追い上げ、次々と前を行くマシンを料理していくシーンは、やもすれば、単調になりがちなレースをドラマチックにしてくれた。あのとき、マモラを料理して、フィニッシュできていれば、ガードナーは「引退」の二文字を封印していたのかも・・・・。93年。日本人ライダーが各クラスで大活躍!94年。ワイルドカードのノリックと世界チャンピオン、シュワンツの息詰まるバトル。ドゥーハンを引かせ、シュワンツと対等に勝負できる日本人ライダーがいたとは。それも、まだ、18歳の少年が世界チャンピオンと互角に戦っているのが、信じられなかった・・・。2000年。日本GP、日本人GPライダー、完全制覇!!まだ、細かいところ拾っていくとキリがないです。(笑)で、その鈴鹿。来季のF-1再開に向けて、まずは、東コースを大改修。グランドスタンドは全て、屋根付のスタンドになるそうです。レース後のコース1周のバスツアーの中でも、ガイド役の鎌田学選手が「F-1再開に向けて・・・」ということを何回となく、おっしゃっておられました。西コースのシケインはライダーにとっては通りたくないそうです。切り返しが辛いから。鎌田選手自身は、西コースシケインが増設されてから、その立ち上がり、ハイサイドで転倒されたそうです。(もともと、200Rの立ち上がりが危ないからということで、シケインを作ったはずなのに、200Rで転倒しなくても、シケインでハイサイドでは、果たして、意味があるのかどうか・・・。)カシオトライアングルは四輪と同じコースを使わせて欲しいとおっしゃっておられました。(そういえば、このバスツアーの模様、ビデオで撮影している方がいらしたら、youtubeにUpしてほしいと、場内放送でピエール北川氏がリクエストしてました。)130Rの立ち上がりのアスファルトもそうですが、結局、四輪というか、F-1優先のコース改修なんですよね。コース改修は理解できるのですが、「バイクのために・・・・。」という声が、ほとんど、聞こえてこなかったのが、どうも、気になってしまっているわけであります。とはいえ、世界中にいろんなサーキットがありますが、やはり、日本のモータースポーツファンにとっては、鈴鹿で観戦するレースが一番楽しいんですよね。それでなくても、この鈴鹿はドラマチックなレースを何度となく、見せてくれました。今、しばらく、眠りに入る鈴鹿。でも、生まれ変わった後には、きっと、新たなドラマを見せてくれることでしょう。それまで、お休みなさい。また、会おう!鈴鹿サーキット、国際レーシングコース・・・。