この道50年を越える大ベテランです。
その腕は京都一や!と言われるほど。
京都の行事の歴史と共に歩んできたうちの一人といえます。

機械プリントが主流になってきている今、手書きの職人さんは数えるほどしかいないとか。
先生は字をそのままを見て書くということで、字の種類からサイズまで原稿を視覚的にとらえて書くそうです。
字体をそのままコピー!できてしまうのです。すごいです。
私は及ばずながら原稿のチェックなどをさせていただいているのですが、
そのときにいろいろと教えて頂いています。
「僕らの世界では職人というもんは後片付けができて初めて職人ちゅうんや。
ちょっとしたものでもそろえて置いておくとか、その辺の配慮ができるかできないかで違うもんやで。
職人は作ることだけやなくて元通りにできてこそ一人前。あるもんで応用してできなあかんし
そういう気概を持って仕事せんなあかんで。」
この教えは職人の世界だけじゃなくて、日常でも大事なことではないでしょうか!

年末蔵ざらえ看板。写真が光って見にくいですね。すみません。
「機械にしても、手書きにしても看板ちゅうのは、センスがいるもんや
そういう目で見てる人はあんまおらんのやけど
文字の配置や大きさなんかが少し違うだけで見る印象が変わってきよんねん。
こなれた感じを出すには何回も書かんと出ないし、機械にしてもおんなじことや。知らんとできひん。
機械にしても、手書きにしてもそれぞれ難しさがあるんやで。」と作り手の経験がいかに大事が教えてもらいました。
はじめて書いた看板のことをうかがいました。
「そんなん見れたもんじゃない。ようやくちゃんと見れるようになったのは30年経ってからや」
30年!?やはり職人の世界は積み重ねが長い・・・と思いました。
「忙しいときなんか”あと看板何枚”とか見てたら嫌になるさかい、目の前の看板だけしかみんようにしてたわ。
そういう時代もあったなぁ。」
この道一筋、その言葉はとても深い。私みたいなペーペーは何もものが言えません・・


先生の手にかかればシャッターにも文字が!
印刷技術が発達するにつれ、先生が書くような看板だって機械でだせるようになるし、手書きの需要が減ってきているのも事実。
手書きの良さってなんでしょう?
ある人は「筆で書いた文字は生きている。力強さとか、魂とか。そいったもんがあるんやけどな」と言います。
しかしながら、看板をそこまで見てる人は少ないのです。
先生は「わしらはただ書くだけや」とおっしゃってました。
決して自分で書いた看板をひけらかさない。
先生の格好いいところです。
会場で見かける看板。こんなことを思って見てみればまた違った様子で見えるかもしれません。