自分の機嫌は自分で取る。

それはいつも心がけています。

私は若い頃から喜怒哀楽を表に出す人間でした。

しかし、それが周りの人を不快にさせていることもありました。

仕事はスピードが第一と考えるタイプでした。

即断即決することが大事だと思っていました。

成功したときは全身で喜びを表現していました。

失敗したときには怒りを周りの物や人にぶつけていました。

そうすることで、自分の気持ちをコントロールしていました。

しかし、それでは上司になったときに、部下が上司の顔色を窺ってしまいます。

今から考えると、自分がテイカーであったことを反省しています。

部下の元気を削いでいたのです。

53歳のときに妻が家を出ることで別居生活が始まりました。

大学を卒業した長男がすぐに家を出ました。

中1から引きこもりだった19歳の次男との生活が始まりました。

あまりの生活の変化で、涙が止まらなくなり、ついに軽い脳梗塞になって入院しました。

12日間の入院で済みました。

仕事にも復帰できました。

それから喜怒哀楽を表に出さないようになりました。

今では毎日を淡々と生きています。

当然嫌なことも多いです。

眠れない夜も数多くありました。

年末年始やゴールデンウィークに1週間布団から出られないこともありました。

起きる気力が湧かなかったからです。

最近は、辛いときこそ、口角を上げて、上を向くようにしています。

そうすると何となく元気が出るからです。

次男は27歳になり、障害者雇用のパートで総合病院の経理課で働いています。

毎晩21時過ぎまで残業をしています。

職員が数多く退職している職場で、辞めた職員の仕事が回ってくるそうです。

3年目ですが正職員になる見込みがないようです。

次男の自立を目標に頑張っているのですが、希望が見えてきません。

私が定年退職まであと4年です。

この4年のうちに次男を自立させたいと思います。

自分の境遇を嘆いても改善する訳ではありません。

起こったことに一喜一憂してもストレスで体を悪くします。

だから、死ぬまで「現在(いま)」を精一杯生きようと思っています。

生きるためには働かなければなりません。

サラリーマン人生の最後は、後進を育てようと思います。

そうすることで、何となく自分が社会に対して罪滅ぼしをしているような気がするからです。

今まで仕事で数多くの人と交流してきました。

結局、それは損得勘定での交流です。

仕事を辞めてまで交流する人はほとんどいません。

いても1人か2人です。

年金の額は不明ですが、1人だけならば生活できると思っています。

しかし、次男がどうなるかが分かりません。

だから、定年退職して悠々自適に生活することはできないような気がします。

私の人生に意味づけするならば「常に全力投球で生きた」と思います。

だから、死ぬまで全力投球で仕事をするしかないのです。

仕事をしながらポックリ死ぬのが理想です。

寂しい人生ですね。