黙殺
ドウンゾとサモフィラキシンはカサビアンネを追って、従業員入り口から店内に入って行った。どうしてここ開いてるんだろうと考えながら。あるいは、そういうものなのかも知れない。朝の7時30分にホームセンターに来る人間に、悪い奴はいないという発想。八艘の舟でも追い着けないほどの速さで流れる血液。
店内では従業員が、せわしなく動き回っていた。へえ、10時開店でもこんな時間から動き回っているんだね。ドウンゾは感心しながらカサビアンネを探し回った。従業員は忙しさにかまけて、ドウンゾやサモフィラキシンの存在を黙殺していた。あるいは、単に気付いていなかっただけなのかも知れない。単二電池の黙殺。
そのうちサモフィラキシンが口から脇腹から、血を流し始めた。ドウンゾは驚いて、歩き回る従業員に救急車を呼んでくれと頼んだがまたも黙殺。サモフィラキシンは下唇を噛みながら呟く。
「黙ってても人は殺せるんだよ、ドウンゾ。まさに今、黙殺される瞬間だよ」
「ちょっと、救急車を呼ぶのは私の役目だったんじゃないの?」
振り向くとカサビアンネが立っていた。手にはバーコードリーダーを持っていた。
救急車の呼びかた
バターナイフ問題は片付いたが、今後の方向についてドウンゾはまったく、何も考えていなかった。一人だとそれで良いんだけどね。ドウンゾは頭の中でふふっと笑う。今はカサビアンネがいるからね、もう「いったい」って言わないでくれるといいんだけどなあ…
「それで、いったいこれからどうするの?」
ドウンゾはあまりに早い「いったい」の登場に、拍手を送る間もなく地面に倒れそうになった。カサビアンネもカサビアンネで、倒れそうになったドウンゾの様子を、倒れて口から血を流している映像としてその目に捉えた。彼女の思考とか想像とかは足早に通り過ぎて、時に彼女自身追い着けない。
「待ってて!救急車を呼んでくる!」
そう言うとカサビアンネはホームセンターの従業員入り口から店内に入って行った。
「カサビアンネは戻って来れなくなるよ?追いかけないと」
びっくりして振り向いたドウンゾの視線の先には、サモフィラキシンがいた。あらぬ方向を見るのには飽きたらしく、ドウンゾをまっすぐ見据えていた。
バターナイフ問題
カサビアンネは選択の余地無し、といった感じでマスクのゴムを指先で弾いていた。いつそれが凶弾とならないとも限らない、そんな状況でドウンゾはひとまずバターナイフを買いに行こうと思った。
「カサビアンネ、今からバターナイフを買いに行くんだけど一緒に来る?」
「尻尾は振るためについているんじゃないんだけどね、まあ付いて行くわ」
そうして二人は町のホームセンターへ向かって歩き出した。時刻は7時30分。
「…これはいったいどういうこと?」
カサビアンネは怒りをあらわにすることに、もはや何のためらいも感じていなかった。ホームセンターは開店前だった。ドウンゾは、それなら待てばいいじゃないかという心境だったが、カサビアンネはこんな寒い中開店を待つのは嫌だと言う。
「私たちはお客でしょ?それが店側の都合で、こんなに寒い中、何時間も外で待たされるの?買い物する時間なんて1分もかからないのに。それがこの町のやり方なの?私はマスクで銃撃することだって出来るのよ?このバターナイフで襲撃することだって…」
「カサビアンネ、バターナイフ持ってるの?」
「当然でしょ?ここをどこだと思ってるの、あ、違う。私を誰だと思ってるの?」
とりあえずバターナイフは確保できたドウンゾたちだった。
幾つになっても
「あ、カサビアンネか…」サモフィラキシンはそう言いながらも、なおもあらぬ方向を向いて歩き続け、ついには見えなくなってしまった。
「ドウンゾ、あなた幾つになったの?」
「そんなことよりサモフィラキシンを止めないと。彼は集中力はあるほうなんだ」
「え?どっちのほう?」
「集中力はあるほうなんだ、でもそれってどっちだろう…」
「あっちのほうなんじゃない?」
「こっちのような気もするけど…」
「ところでドウンゾ、あなた幾つになったの?」
ドウンゾはサモフィラキシンを追いかけるのを諦めた。彼は彼で、幾つになってもあらぬ方向を向いて歩き続けるんだろう。レンガの家でもあれば彼を止めることが出来るのかも知れないけど。
「ところでドウンゾ、あなたいったい幾つになったの?」
いったい、を使い始めると同時にカサビアンネは機嫌が悪くなり始める。自分の発する言葉で機嫌が悪くなり始めるカサビアンネを見るとドウンゾはいつも、だったら言わなければいいのに、と思う。
でもそれって、案外誰もがやってることなのかもね、とも思うドウンゾではあった。
サモフィラキシン
リクウォークは通常は単独では行動しない。だがドウンゾを連れて歩くこのリクウォークは、なぜか一人で行動していた。ドウンゾはそのことを不思議に思ったが、まあリクウォークにもいろいろいるよね、いろいろ。と、歩く速さで瞬きするドウンゾの神経。
リクウォークは収容所の門の所までは例のように歩いていたのだが、あと一歩で門の中に入るというところで急に左に曲がった。ドウンゾはそのことも不思議に思ったが、今度は不思議に思うだけでは済まなかった。リクウォークのつなぎを着てはいるが、実際のところそれはサモフィラキシンだという気がしたのだ。
「あ、バレた?」サモフィラキシンは顔面を覆うファスナーを少しだけ下げると、あらぬ方向を向いたまま歩き続けた。そのため前から歩いてきた人とぶつかった。
「あ、すいません。これ壊れているんです」
サモフィラキシンは得意の言い逃れをぶつかった相手にぶつけてみたが、その必要はなさそうだった。相手はカサビアンネだった。
ウワノソラ
喫茶店は意外に空いていた。まあ、朝の6時だもんね、仕方ないか、とドウンゾは板ばさみの角度について考えながらつぶやいた。ウインナーコーヒー、ドウンゾがそう注文すると店主はウワノソラ。
「どうしたの?睡眠が足りていないようだけど?」ドウンゾがそう訊ねてもウワノソラ。
ドウンゾはその様子が気になって、気になって、カウンターを乗り越えて膝をいくらか曲げ、店主と目線の高さを合わせてあらぬ方向に焦点を合わせた。
が、焦点を合わせてはいけなかったのだ。ドウンゾがそのことに気付いた時にはすでに、カウンターの向こうには数匹のトカゲと羊、アルミホイルとボールペンが転がっていた。そしてつなぎを来たリクウォーク。
ドウンゾはリクウォークに、左腕に筆ペンで「陸」と書かれた後、例のように連れて行かれた。ドウンゾは一度はリクウォークに連れて行かれたいと思ったことはあるものの、別に今じゃなくてもいいのにと思っていた。
「焦点を合わせちゃウワノソラになりませんよ」店主はカウンター奥でまだウワノソラだった。
冬の風景
眠りながらも無理強い。ドウンゾは明け方の白々しい光を浴びようと外に出てはみたが、目に映るのは灰色のオットセイ。機械を撫でながら夢を見ている。
ドウンゾは日暮れまで喫茶店にでも隠れていようと思ったが、思った瞬間にカサビアンネが角を曲がってまっすぐこちらに向かってくる!ドウンゾはカサビアンネの目の焦点が右斜め上のキリンに合わせてあることを確認すると、カサビアンネの方に向かって歩き出した。
「久しぶりね、ドウンゾ」すれ違うその時、カサビアンネはドウンゾにそう言った。
キリンはキリンで、木に引っかかったまま身動きが取れない。オットセイはなおも機械を撫で続けている。が、目は覚めたようだ。カサビアンネは表情だけは変え続けるキリンを見ながら、ここはどうして、展覧会場じゃないのかしらと考えていた。
ドウンゾはしばらくその場で白昼夢のような光景を眺めていたが、カサビアンネも元気そうだし、やっぱり喫茶店に行こうと歩き出した。
カサビアンネ
ウイスキーのコーラ割り、ジンジャーエール割り、学割、時間割、日割り、来月まで耐え忍べば…忍べばどうなるんだっけ?どうもならないよ?またいつもの来月だよ?
ドウンゾはそれらをのどに流し込みながら焼付く熱さに、さっきの焚き火を思い出していた。夏の暑さとは違うよね、乾燥した熱さ、すっきりとした熱さ。
空気が見えないのに透き通っていて、そんな空気はドウンゾを面白がらせた。あるいはウイスキー?豆腐がレアチーズケーキに見えるようになればこっちのものとカサビアンネは言ってたなあと。
言ってたなあと。カサビアンネは言ってどうしたっけ?今どこにいるんだろう。
ドウンゾは探すつもりもなかったが、親切でもおせっかいでも、執着でもストーキングでもなくカサビアンネのことを、その所在を案じた。それは塔でもなく貯水池でもなく、人間なんだなあと。
人間なんだなあと、ドウンゾは思った。
薬とも言えるような
「赤!!」
「紅じゃなくて、赤!!」
「朱じゃなくて、赤!!」
「銀紙に包まれた、赤?」
「羊皮紙に包まれた、赤!!」
「手の上に乗せると染みるよ?」
「そんな赤!!」
「瞼の上で踊るよ?」
「そんな、赤!!」
「そんな黒!!」
「そして、そんな白!!」
「ビルの上で踊る3色!!」
「逆さまに流れ落ちる、そんな」
「そんな3色で出来てる!!」
忍者な患者
「神経に達していますね」
「え、そうなんですか?」
「…痛くないの?」
「まったく」
「…神経には達していませんでした」
「え、患者次第!?」
「いえ、忍者自体です」
「ナニガ!?」
「ほら、虫歯って蝕むでしょ?」
「そういう語源じゃないと思いますよ?」
「思うのは自由です、あなたの中でね」
「私の中でですか?」
「まあ、外に漏れなければ良いんですよ」
「忍者みたい!」