宮古のサンマ | 遊・VIVA!

宮古のサンマ

9月25日(日)


秋になりましたねぇ。さすがに長袖じゃないと、肌寒いです。


今日は、ちょっと福個人のことを・・・。(長くなっちゃいます・・・)


先日、宮古からサンマが家に届きました。

短大時代の友人Eちゃんが送ってくれたもの。

実家で開けてみると、新鮮で見事なサンマたちがぎっしり、光り輝いています。

「こりゃ、新鮮だ!美味しそうだ!」と父も母も大興奮。

家の分を取り分けてから車にサンマを積み込み、いろいろな場所へ。


Eちゃんとは、同じ短大のサークルで一緒に過ごした友だち。

まだCDがなく、レコード盤だったころ、放送研究部の部室で

たくさん話して、笑って、泣いて、本当に濃い2年間・・・

○十年の中のたった2年なのに、不思議なくらいあの時のメンバーは

自分の中で“特別”な仲間です。

Eちゃんは、同郷のご主人と結婚し、今は宮古にいます。

宮古での結婚式に行って、驚くべきお色直しの数に驚いたのは、もう何年も前のこと・・・

いつかまた宮古に遊びに行きたいと思ってました。


あの3月11日、ある会合で会議室にいた福、下田でも揺れを感じ、

「東北だって!」「大きいらしいよ!」という言葉が耳に入ってきました。

それを聞いて、すぐEちゃんにメールを送信しました。

「地震、大きいみたいだけど大丈夫?」

まだ状況がわからなかったので、そんな簡単なメールでした。

しばらくして、携帯ワンセグにつないだ人から見せられた画面には、あの津波の映像が。

さっきのメールの返事はありません。

そしてこの伊豆にも大津波警報が発令され、仕事の変更の連絡に追われました。

家のテレビに映る各地の津波を見て、心がざわつき、

千葉に住む同じサークル仲間Aちゃんに連絡、彼女もつながらないと焦っていました。

全員、電話していたらそれは緊急使用を邪魔することだから、Aちゃんが代表で連絡を取ることに。

「大丈夫、きっと大丈夫」

そう思いながらも繰り返し放映される映像と、グーグルマップで見た彼女の家と海の近さ、

いろんなことが頭をぐるぐるしてました。


そんな時に、岩手の「防犯ブザープロジェクト 」の話がきました。

岩手と聞き、力が入ったのはEちゃんのことがあったことは言うまでもありません。


「どっかの避難所にいるんだよ、きっと!」とAちゃんとも何回も話しましたが、

日がたつにごとに、3月11日直後より、焦る気持ちがわきあがってきました。


「まだ、話したいこと、伝えたいことがあるんだよ!!」


それから数日後、1通のメールが!

「生きてるよ!!」

それはEちゃんからでした!みんなで喜びのメールが行き交いました。

数日後、なんと直接電話が!

「やっと電話がつながったよ~。」

いつもと変わらぬ声に、早く切らなきゃ、切らなきゃと思いながら、

その声がうれしくて、なかなか電話を切ることができません。

彼女の家は、津波の被害を免れていました。

でも家のすぐ横を津波が走り、悲しい出来事はたくさんあったようです。


その後、宮古に直接荷物を送れるようになり

「何か、必要なものない?送るからさ。」そう聞いても彼女は何も言いません。

下田のものや娘ちゃんへのもの、

防犯ブザーの話をくれたお菓子教室の中村先生が焼いてくれたお菓子、

思いつく物をいろいろ積めて送りました。

「宝箱が届いたよ~!」彼女はそう言ってくれました。


あれから半年、宮古のサンマを食べられることを本当にうれしく思います。

ちょうど社協の久保田君が、被災地に社協派遣で応援に行ったことを聞く会を

志津ちゃんのうちで開く日だったので、

遊・VIVA!のみんなにはそこで食べてもらいました。

「みんなが美味しいって言ってたよ。」

彼女に報告できること、本当にうれしいです。


ミニ遊・VIVA!での「手作り品販売を義援金にする企画」は続いています。

福だけじゃない、あの日、日本の各地で世界でたくさんの祈りがあったこと、

その時の気持ちを忘れちゃいけない、そう思った「宮古のサンマの日」になりました。


今度は下田の名産を持って、宮古に会いに行きたいです。


遊・VIVA!
    志津ちゃんが作ってくれた「サンマ寿司」と「サンマの刺身」美味しかった!!