26日は葛飾柴又寅さん記念館の休憩室に9時45分集合で、この日の研修生は
実習3回目の私と、パーフェクト参加で早くも5回目達成の女性Mさんとの2名、
そして今回講師を引き受けてくれたのは、4期生先輩ガイドの鈴木寛さんでしたexclamation ×2

郷土と天文の博物館のボランティアを含め、いくつも何度も経験しているらしい
鈴木さんだったので、ボランティアの定義とか心構えみたいなものをまず最初に
教えてもらってから、スタート地点になる京成柴又駅前まで移動しましたダッシュ(走り出す様)
ここでは関東の駅百選の一つ柴又駅舎寅さん像の説明後、柴又八幡神社走る人
古墳からの出土品や人骨を埋納し、古墳を慰霊/顕彰するため造られた嶋俣塚
この社殿の下には復元された房州石使用の横穴式石室があり、この古墳で渥美清
さんの命日(8月4日)に、「寅さん」そっくりの埴輪が出土したことなど…

まあ何度も聞いてる話なんだけど、鈴木さんは当時実際にここの遺跡発掘調査に
立ち会っている人なので…、そういう人から直に話が聞けるなんて何か感激です目がハートぴかぴか(新しい)
そんなことで歴史面にもかなり詳しく、柴又の地名は古く、養老5(721)年に作成
された正倉院古文書正集の「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記されている嶋俣里
(しままたのり)から…ということなど、改めて興味深く聞くことができました手(チョキ)
しかし神社を出るときにはすでに11時、今回は長期戦になりそうな感じでしたあせあせ(飛び散る汗)


帝釈天参道に入っても昔のことを聞かせてくれて…、この辺りは農村地帯だった
こと、うるち米が作られ加工がされて団子や煎餅に、そしてヨモギは当時江戸川
土手にあったし、うなぎや鯉が捕れたし川魚料理の老舗店が多いのもうなずける手(パー)
また映画映画男はつらいよ」の1969年第1作には、土の参道や電柱が映っているが、
今は電柱は地下へ、そして参道は御影石に変わっていることなど歩きながら…

柴又帝釈天の二天門大鐘楼では、建築から「斗(ます)」と「肘木」との組み合わせ
たもので軒の荷重を支えている四手先の豪壮な桝組(斗栱/ときょう)のことや、


曲線的な建築手法の素晴らしさなんかを教えてもらいました。あとは浄行菩薩
ご神水瑞龍の松などを順に説明してもらったところで「後は午後にしましょう」
って鈴木さんが言うので、やっぱりお昼ご飯休憩をはさんでの長期戦が確定ですふらふら


かつしか語り隊行きつけの中華料理店でランチ、約一時間の休憩になりましたうまい!
午後13時からは帝釈堂に入って本尊を遠目に見て、彫刻ギャラリーのほうへ、
ここでも彫刻一点一点をかなり詳しく説明してもらって、葛飾北斎の代表作の

「神奈川沖浪裏」などの画風に強く影響を与えたとされ、波を彫っては天下一の
波の伊八の彫刻作品群とその歴史的背景など、改めて多く教えてもらいました手(チョキ)



そして邃渓園を廻って再び柴又帝釈天境内に戻ったとき、神仏習合の慣習を禁止し、
神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させた明治政府の神仏分離令
(正式には神仏判然令)や修験道禁止の話から始まり、当山最古の建造物釈迦堂
隣にあって、日蓮宗では祀らないとされている金剛界、胎蔵界の大日如来像
観世音菩薩像があるが、…そういう原因で冨士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)
から散逸したもの、捨てられたようなものを誰かが憐れんで置いたものらしいもうやだ〜(悲しい顔)

帝釈天はインドバラモン教の雷神、しかしのちに仏陀の教えを聞いて仏教の守護神ぴかぴか(新しい)
となったことで、ここは神仏分離の例外(?)と見なされていたのかも知れませんexclamation & question


山本亭は庭をぬけて、柴又公園の階段をのぼって土手から、矢切の渡し
スーパー堤防の新旧の話を聞いて、14時45分に修了ということになりましたあせあせ
実際のガイドでここまで詳しい説明は必要ないと思うけど、聞きたくてもここまで
詳しく教えてもらえることもあまりないので…、貴重な勉強ができました指でOK
でもやっぱり長くて、頭が疲れました(笑)あせあせ(飛び散る汗)