今日はめずらしく真面目なお話です。
テーマは、〈出生前診断〉についてです。
実はだいぶ前になりますが、ある方のブログのコメントに、私の思いを書いたことがあります。
その内容は、簡潔に申しますと……。
「出生前診断することが大事なのではない。
そんなことより、障がいを持って生まれた子やその家族が
いきいき過ごせる社会をどう作るかを議論することが大切なはず!」
というものです。
この間新聞で、出生前診断についての記事があり、
〈これまで全国で検査を受けた3500人のうち、67人が陽性と判断され、羊水検査などで異常が確定した56人の大半が中絶を選んだ〉
とありました。
そのような選択をされた方も、きっとものすごく迷った末の決断でしょうし、もしかしたら今も後悔しているかもしれませんが、
何十人もの命が人の手によって失われてしまったのは、やっぱり事実なのですよね……。
(どの段階で「命を授かった」と判断するか、さまざまなご意見があるかもしれませんが、
私は受精卵が分割し始めたら、もうそれは立派な命だと考えてます。)
人間、健康に生まれたって、事故や病気で何らかの障がいを抱える可能性は、だれにでもあるわけです。
そう考えると、健常に生まれようが、障がいを持って生まれようが、そこに命の価値の差があるのでしょうか?
生まれた後に事故などで障がいを負ったら、生きる価値がなくなるわけではないでしょうに。
重い障がいを抱えた子を家族で育てるのは、正直大変なこともあるかもしれません。
だったら、社会全体でそうした苦労を補っていくのが、我々の責務ではないのだろうか?
そんな風に思えて仕方ありません。
ほかの国のことは知りませんが、今の日本は、ハンディを背負った方々に冷たすぎる気がします。
その問題は先天的な障がいだけではなく、認知症や難病などについても言えることだと思います。
もちろんがんばっている方たちはたくさんいるわけですが……。
今、そうした様々な困難を抱えた方への援助は、NPOさんががんばってやってたりします。
それは国や自治体の援助があまりにも足りないからです。
消費税アップ、軽自動車の税金アップもいいですが、するならするで、みんなで支えあい、いきいき過ごせる社会づくりのためにお金を使ってほしい。
そう願わずにはいられません……。
それでは、今日はこの辺で。最後まで読んでいただいた方、どうもありがとうございました!