自分を保つためのウソ | はらくんのブログ

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あそび歌作家・シンガーソングライター・アレンジャー(編曲・伴奏作り)・シアターや絵本制作など、いろいろやっている元保育士です^^

今日は保育の真面目な、しかも長い話です(興味ない方、読むのやめてもらって構いませんので……)。


先日ある方のブログにコメントしていて思い出したことがあります。


私が保育士をしていた時、よく嘘というか、ありえないことを大きな声で自慢げに言いふらすような子がいました。


うちにはこんなすごいものがあるんだよ~とか、このおもちゃいっぱいあるんだよ~とか……。



その子は可愛そうなことに、親御さんから疎まれていました。


面と向かって、心から傷つくようなことを言われたことも何度もあったみたいです。


私はそんな状況を知っていたので、その子のうそを聞いても否定する気にはなれず、「ふ~んすごいんだね」と、それとなく肯定して聞いていました。



その子がなぜそんなウソを言うのか、理屈で考えられることはいくつかあります。



・「自分がすごい」というより、「自分のうちはすごい」と言っていたことから、「自分のうちがすごくいい場所であってほしい」という憧れがあった。


・現実を直視したくないので、空想を膨らませ、その世界に逃避しようとしていた。


・わざわざ人に言いふらしていることから、「私はこんなにすごいんだよ」と誰かに認めてほしかった。



多分心理的にはいろいろな要素が複雑に絡み合った上での発言だと思われますが、一つ言えるのは……。


その子は、そんなウソを言わないとやってられない状況だったということです。


ウソを言うことで、かろうじて自分を保っていたのだろうなと思います。



そんな子に対し、保育士は何ができるのだろうかと考えましたが、結局、普通に接し、普通にその子のことを認めてあげるしかないのだろうなと思いました。


だって、変にべたべた可愛がってあげても、いずれその子は保育園を卒業してしまうのです。


「保育士は親代わりにはなってはいけない。なぜなら(クラス替えや卒園などで離ればなれになるから)いつかそのこのことを裏切ることになるから」と、ある研修で聞いたことがあり、それはその通りなのだろうと納得しました。


納得はしたけど、すごい無力感に襲われたことを覚えています。



虐待にもいろんな形がありますが、「否定するくらいならほうっておいてほしい」と思うこともあります。


子どもが嫌いでも、わざわざ傷つけないでよ、と。嫌いなら嫌いで、放っておいてあげてくれ、と。


そのほうがまだましです。かわいそうなことには変わりありませんが。



ただ。


虐待してしまう大人も、実は壮絶な過去を背負っているケースがよくあるわけで、一概にその大人をせめていいのかというと、それもまた違うと思うのですよね。



長々と出口がないことを書いてしまいました。


人の心は、実にいろんな影響を受けて成り立っています。子どもは大人に依存していますので、その依存(甘え)欲求だけはせめて満たしてあげてほしいと思います。


難しいことありません。


「甘えてきたら受け止める」


とりあえずそれだけでいいです。


変に頭でっかちに、「あれしなきゃ、これしなきゃ」と思うと失敗する気がします。


あと抱っこなど、「今は無理!」というときは、素直に「今は無理だから、これ終わるまで待っててね」などと言っても全く問題ないです。


甘えの気持ちを受け止めるということで……。



甘えてくれるということは、自分を頼りにしてくれているということ。これ、とっても幸せなことだと思いますが、どうでしょう? 


だって、そこに生きている意味ができるのだから。



逆に大人は、依存をやめて、自分から与える側に徐々に移行していかなくてはいけませんよね。


なんだか読んだらテンションが下がりそうな記事になってしまいました。皆様、今日も良い1日でありますように!