5月のお出掛けの話です

この日は京都の宇治にあるウトロ地区を巡るツアーに参加して来ました


ウトロ地区について詳しい話をすると長くなるので

詳しく知りたい方はこちらをどうぞ


ウトロ平和祈念館の入り口にある

移築された飯場小屋と呼ばれる建物

移築に際して安全性の問題から補強、増築されて

実物より立派になっているらしいけど

古い素材から元の建物のイメージは何となくわかる

中に入る事もできます

建物の端には焼けたシンク

焼け焦げてボロボロ…

2021年の放火事件で焼け残った物なのだそうです


飯場の裏にはポンプがあるけど水は出ません

ウトロ地区には1988年まで上下水道がなく

井戸水で生活をしていたそうなんです

それを実際に再現したかったけど

工場したらコンクリートの家の基礎にぶつかって

水脈まで辿り着けなかったとの事


これがウトロ平和祈念館

敷地に対してこぢんまりとした建物なのは

皆で焼肉が出来る場所が欲しいと言う

ウトロの皆さんの要望に応えて

建物前のスペースを広く取る事にしたから

ウトロの皆さんは

人とのコミュニケーションをすごく大切にしていて

大勢で食べる焼肉もその一環

祈念館の一階はカフェスペースなんですが

色んな人がやって来て交流できるようになってます

見学してる間にも近所の子が

建物の前でバスケして遊んでいました

今の世の中、ここに限らず世代を超えて近所の人達と交流できる場所があるってめっちゃ大事やと思うわ


祈念館の向かいは自衛隊基地

こっちはこっちで興味あるー!



ウトロ地区は在日コリアンの集落として

長年インフラも整備されず

差別や偏見などにより孤立した地域でした

立ち退き問題で話題になっていた事は

よく知られているかと思います


下水がなく、川よりも低い位置にある土地の為

大雨が降ると家が床上まで浸水する事が度々あり

とても大変だったそう

パンフレットの写真からお借りしました

この状態でトイレが汲み取り式なの

考えただけで恐ろしい


そんな環境を改善したいと長い長い時間

ウトロの皆さんは力を合わせて訴え続けて来ました

そして現在、ついにその願いが叶い

土地問題は解決し

上下水道が完備された新しい住宅が作られ

そこへの移住が進められています

しかしそれを1番待ち望んでいたであろう

在日1世の方々は今はもういらっしゃいません


ウトロ地区は整備され

新しい町になろうとしています

この過渡期に最後の街並みを見る事ができました


以前は沢山の看板を立て掛けて

「看板の家」と呼ばれていたウトロを代表する家は

既に取り壊されてなくなってました

角度は違うけど、以前の様子はこんな風

これもパンフレットの写真から


看板の内容も時代によって変化していて

初期は「ウトロで生きていきたい!」と

強い言葉での意思表明だったものが

最後は上の写真のように

皆が笑顔で集まる絵が描かれるようになりました

ウトロを取り巻く環境がどう変化し

この地域の方々の中で何が変わっていったのか

看板の変化からも感じ取る事ができます


5月の見学ツアーのこの時には

既にウトロ地区内の半分の方は新しい住宅へ移り

残りの方々は5月中に引越す事になってました

その為、ウトロ地区内はほぼ無人状態で

廃墟感溢れる街並みをゆっくり見る事ができました

6月から古い建物は解体されていくとの事なので

これらの家ももうないのかも知れません

味わいのある二重屋根


普通に綺麗な家もある

ウトロ地区って思ったよりずっと普通だと思った

狭い範囲に家が密集してて

ちょっとした迷路みたいな路地を進む


緑に覆われつつある小道

流石に怖くてこの先には進めなかった

見た感じこの先の廃墟は半壊してるっぽい


ここは通称「焼肉広場」

ウトロの皆さんは度々ここに集まって

おしゃべりしながら皆で焼肉を食べたそうです

貧しく厳しい生活の中

皆でご飯を囲んでお喋りして故郷を偲び

何度も何度も話し合いをして

皆で団結して生きてきた場所


皆の憩いの場所だった焼肉広場も

もうすぐ無くなってしまいます

平和祈念館に焼肉ができるスペースをという要望は

その絆を繋いてゆきたいという皆の願いの現れでした


広場の右手にあった小屋には

素敵な似顔絵が描かれてます

これも壊すのかな?

とても良い絵なのに勿体無い


そんな焼肉広場の近くには

放火事件の現場がありました

2021年この倉庫は放火による火災で全焼しました

中には平和祈念館に展示する為に集められていた

先程の話に出て来た多数の看板や

移築する飯場小屋内部の用具など

大切な物が仕舞われていたのですが

ほとんどが焼けてしまったそうです

近隣の建物7棟もその火事に巻き込まれました

死傷者が出なかったのがせめてもの幸いです


犯人は22歳無職の男性

ネットでウトロ地区の事を知り

差別感情からネットを騒がせたくて火をつけたそう

噂を鵜呑みにするタイプの人って

よく知らない人の事を訳知り顔で悪く言うけど

実際にはその相手の事なんて何一つ知らないのに

何故か自分は正しいって主張するよね

相手を1人の人間としてきちんと相対すれば

その人にも良いとこや自分と似たとこがあって

皆同じ人間なんだと気づく事もあるだろうに

ネットの情報が全てだと思っている人には

本当の人間との関わりが想像できないのでしょう

そしてそんな薄っぺらな思い込みを理由に

知らない人から突然攻撃される事ほど

恐ろしい事はないと思います


さて、こちらが新しく建った住宅

皆さんここにお引越しされます

ごく普通の住宅過ぎて

ここがウトロ地区だと言われてもピンとこない


よく見ると各階のドアの色が違います

これはエレベーターに慣れない高齢の方が多いので

自分の部屋の階を間違えないように

ドアの色分けをしたのだそうです

また、閉塞感がないよう玄関は引き戸になってます

皆が新しい家で過ごしやすいように

様々な配慮がなされていました

この住宅ができた時

最も高齢だった在日1世のオモニはまだご存命で

優先的にこちらへ入居して貰ったのだそうですが

ここでの生活では誰にも会えなくて寂しいと

数ヶ月で元の家に戻られ

最後の時までご自宅で過ごされたそうです


安心して生活できる家をずっと望んで

訴え続けていたそのオモニは

この住宅を見てとても喜んでいたそうです


生きてる内にこの建物を見る事ができて良かった

次の世代の皆がここに住めるようになって良かった

だけど私にとって本当に大切だったのは

道を歩けば誰かに会ってお喋りし

困った時は貧しい同士で助け合って生きてきた

ウトロの狭い集落でのあの生活だったんだと

オモニは言っていたそうです

ウトロのパンフレットの表紙

こちらのオモニも苦労をされてきた方だと伺いましたが、笑顔にお人柄が現れていてとても素敵だと思う


人が生きていく

そこにはどれだけの想いがあるだろう

優しさも偏見も勇気も怒りも

きっと誰もが普通に持っているけれど

自分の中にあるどの感情を大切にしたいかは

自分で選ぶ事ができるんじゃないか

自分は何を選んで生きたいだろうか


かつてのウトロの街並みはなくなり

厳しい時代を生きた在日一世の方々は亡くなり

放火の跡地もなくなって

これからのウトロに残るものは何だろう

それが温かくて強いものであればいい

そんな風に思ったウトロ地区見学ツアーでした