日本の音楽、

最近、韓国で日本の往年の昭和の歌(S40~50年代頃の流行した歌)にスポットライトがあったっていると言う。松崎しげるさんが愛のメモリーを韓国で歌ってました。

 

未来に日本独自の音楽文化は果たして生まれるのだろうか。どこへ行くのだろうか。

 

※転載禁止です。

 

さて、日本の商業音楽。

明治以降に入ってきた西洋音楽(特に欧州)の真似っこの日本の音楽文化はいつまでたっても、日本の音楽の礎にはなっていないのではないかと思う。

 

単純な真似であるというより日本化され小さくまとまってしまい、

造作のようなハリボテと言おうか、日本人DNAにはおそらくは江戸時代までの長い歴史の中でつちかった音楽にフィットしにくい、馴染みにくいのではないかと思う。

楽器はドレミファソラシドに半音があるという音階で表現するが、三味線1つとっても半音と半音の間に位置するような音を平気で出すし、

たとえば歌などは日本語の発音自体、ぺちゃぺちゃとした発声で音楽的ではない。

 

音階もそうだが、表現も独特だ。

アメリカやヨーロッパの音楽シーンをみると、その歌唱力や表現の音楽センスを羨ましくみえる。追いつけないなあと感じる。

もちろん、日本人でも素晴らしい人はいるけれど稀有な存在となる。

 

考えてみれば、

クラシック音楽の殆どは欧米で、歴史とともに存在してきた。

大衆音楽もほとんどは欧米発で、日本は輸入という立場になる。

 

日本はというと、

 

日本民謡、浪曲や詩吟。

演歌~(これだって昭和40年代に生まれたもの)

クラシックでは、三味線、琴、古典の邦楽ぐらいであろうか。

(古典の邦楽器は中国からの伝来)

 

外国人たちが世界で演奏したりしているのをみると、

 

「ああ、音楽の土壌が違うなあ」と感じる。

 

例えば、私の好きなAndré Rie オーケストラの世界巡業(日本も来たことがある)。

 

Youtubeを視聴して強く感じる。まあ「題名のない音楽会」的かもしれないが、

その規模感、会場、老若男女聴衆の層の厚さ(さしずめ日本だと中高年ばかりになるだろう)をみても全くその違いが分かる。

 

選曲もいいし、

ここに登場をさせている少女は難しい病(胃にチューブで食べ物をおくる)を持ちながら病気を克服しながら歌手を目指している、とても歌唱力がある。

さしずめ日本なら演歌少女歌手とか、ガールズユニットとなるだろうが、その次元とは違って、心に歌が届く。

 

André Rie オーケストラ バーレーンコンサート↓

 

その少女が歌いあげる歌の1つ マイケル・ジャクソンの曲 Heal The Worldである↓

 

 

浅草の枝垂れ桜も蕾がついてきました。