パシフィコ横浜で開催しているカメラレンズの祭典
「CP+2024」。
※SONY NEX-5T(古いけど今のαシリーズへ行くことになる)に+
旧ソ連製のレンズIndustar-22(インダスター) 50mm F3.5をつけてみました。
レトロ感いっぱいで飾っておいても様になります。
さて「CP+2024」はYoutubeのライブ放映で
各メーカーブースの新しいカメラやレンズのプレゼンテーションを
やっています。 行かずとも視聴できるのいいです。
天体望遠鏡メーカーも!
甲乙つけられない発表や、
写真家や映像クリエーターが登壇して話しています。
僕もカメラは好きだけど、最近はカメラを想う気持ちは
オーバーロードでしてあまり興味が湧きません。が・・・
手持ちで天体写真が撮れるOM SYSTEMの
OM-1 MarkⅡはほしいなと想う製品です。
小さい頃は星に憧れました。
その頃1970年に買った2冊の本があります。
※1970年頃の本
いずれも中は白黒ですが懐かしいものです、
天体望遠鏡は高値の花なので、こうした本で思い巡らしていました。
さて僕が想うのは
映像動画はLUMIXやBlackMagicで、
写真はSONYかキャノンかOMか?
それだって如何せんどのメーカーも
現代のカメラはどれも五十歩百歩。
そんなに機能も大差ないし、日頃の旅のスナップ写真であれば
スマホで十分キレイに撮影でき、動画でも同じだと思います。
それから撮ったものを誰に発表するか見てもらうか?
というスキームがなければ面白くありませんね。
職業にしているカメラマンや画家は
絵を描く、カメラで撮影する、何かを造形をして
表現します。
人は生まれた瞬間から、宇宙に表現をしている生物なのです。
人間は神の芸術だと思います。
芸術はその1つの表現手段に位置しています。
そう思うのです。
※1970年頃の本
時の流れは止まらず、技術は進化し続け
カメラもまた流れに乗り、新たな姿を模索するだろうな。
未来のカメラは、
宇宙の彼方へ飛び立つロケットのように、
限界を超え、未知の領域へと進化するだろうか。
写真は人間の感性と共に生きます。
絵と同じでしょうか。
芸術としてのカメラは、人々の心を打つ作品を生み出し、
新たな感動を与えます。
そこでエッセイです。
私は窓辺に座り、手には古びたカメラを握っていた。
※愛用のSIGMA SD1Merril
高解像度カメラだけど連写や夜は無理に近いカメラ。
この小さな箱は、時折、私の世界を捉えるために仕える。
そのレンズの先に広がる景色は、私の眼差しと重なり合い、
過ぎ去る風景を永遠に刻み込む。
カメラは私にとって、現実との対話の道具で
そのレンズを通して見る世界は、時には鮮明でありながら、
時にはぼやけている。それはまるで人生そのものであり、
未知の世界への探求でもある。
春の午後、私は静かな公園でカメラを構えた。
木々のざわめき、遠くから聞こえる子供の笑い声、
そして太陽が降り注ぐ暖かな光。
この一瞬を切り取りたくて、カメラを向ける。
しかし、その一瞬はすでに過ぎ去ってしまった。
捉えることができたのは、
写真に焼き付けられた静寂だけだった。
私が一人静かに彷徨う夜、
あれやこれやとカメラのメカを触るとき、
カメラは私の唯一の友となる。
その中でも
私の時が刻み込まれている。
失われた時間、過ぎ去った人々、
そして幾度となく変わる世界の風景。
それらを静かに受け止め、記録する。
カメラと私、それは時折、独りよがりな対話の相手でありながら、
永遠の旅人でもある。この小さな箱は、
私の心の中に新たなる冒険を生み出し、物語を紡いでいく。
私自身の生涯と共に、息づいていくのだ。
※全盛期のコンデジLUMIXも現役、でも画質はスマホがいい。
捨てずにあるフィルムカメラ。
きっと電池をいれれば動くかな。
※Youtubeキャプチャ







