9月も終わり、まもなく神無月、10月へ。

 

十五夜は明日9月29日である。

 

10月のシルバー大学の音楽(歌・発声の仕組み)の講義の

準備をはじめた。

 

28日の昼下がり。

 

 

目の前のPCの画面は2台あって1台のPCからソフトを使って、

キーボードもマウスも1個で操作できるようにしてある。

 

 

写真の整理をしながらブログにアップするものを選んでいる。

 

カメラで撮影しても、ネットに掲載するだけの趣味。

やっぱり個展とか生の写真を人にみてもらうのがいいんだろうなと思う。

そんな実力があればいいけれど、

好きに撮っているのが楽しいかもしれないとも思う。

 

スナップ写真として被写体は刺激的なものがいいけれど

観光地にはあまりないもので何処も同じような光景が多い。

 

こうした写真は基本的に×である言われやすい。

が、このサイズでは全く分からないけれどA3ぐらいでみれば少し迫力が増し

朝焼け遠くに船が行き山と海と、釣り人が朝もはやくから

獲物を狙っているという動きがある。

 

 

撮影会でモデルとなる人たちばかりを撮るカメラマンもいる。

とにかく人を含む生き物は瞬時に表情が変わるものなので、撮影しがいもあろう、

羨ましいものだ。

 

自然の場合、早朝の田園とか山岳地帯とか海や川など

動かないとそうした心躍るような被写体には巡り合えないだろう。

 

人の気配がなくてもやがて訪れるゴルファーたちを待つゴルフ場のグリーンも

人工的なものであってもなんとなく清々しくて良いものである。

 

 

絵画もある点では同じと思うけれど、絵は書く人の心を描写してゆくことが大きく

静物や風景画でも、人によってかなりかわるものだと思う。エネルギーが封じ込まれる。

写真ではどうやってもそれは難しいので、空間から被写体をどう切り取れ撮影できるかに

かかっている。

カメラという媒介は、所詮、内部でレンズを通したものに、物理的な化学反応を起こして

画像とするだけで、絵と違い一筆一筆、魂を入れることはできない。

 

 

少し山に分け入らないといけないが、

下のような写真は生命のエネルギーがそのままあって、誰でもが

撮ってくる被写体と思う。

 

 

観光地は観光絵はがきになりやすいので

どうしても、マクロ視点からミクロにうつさないとドキッとした写真がとれない。

 

だからこうした花も大きく迫りながら撮ると、

陰にすくっ立って光と影の中、命を感じさせてくれるし

 

 

鯉を撮るのだって、

少し動きを伴ってくれるので写真がいきいきとしてくる。

 

不思議なものなのだ。

 

 

空にむければ、

 

太陽の光が、大いなる自然に恵みを与えてくれていると分かるものだ。

 

 

なにげないバスの窓の内からだが、

雨というあまり撮影にはむかないものなのに

流転する大自然の営みが分かる。

 

 

まだ残暑。

 

この桜の木たちは、すでに冬支度なのかと思わせる。

 

 

人が作った水車とはいえ、木づくりで、辺りに調和している。

 

 

海と人(船)と空(雲)とお日さま・・これだけ役者がそろえば、

 

写真が物を言ってくる。

 

 

今日は、だおそらくこれぐらいの月。

 

 

明日は すてきな十五夜を御迎えくださいませ。