今日は晴れ。 

浅草の北、千束方面の舗道の「一葉ざくら」

花と若葉が重なり合ってきてとっても素敵です。

レジンに封じ込めたい気分です。

 

 

人生春夏秋冬。

 

私は吉田松陰の言葉を思いめぐらします。

吉田松陰は私の尊敬する偉人の一人です。

そのことズバリ、人の一生を四季の移り変わりになぞらえたもので、

どんなに短くても長くても四季があるものと説きました。

 

吉田松陰の死生観(留魂録)より

 

人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って

営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。

十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。

二十歳には自ずから二十歳の四季が、

三十歳には自ずから三十歳の四季が、

五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと

願うことだ。百歳をもって長いというのは、

霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達する

ことにはならない。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、

実をつけているはずである。

それが単なる籾殻なのか、

熟した栗の実なのかは私の知るところではない。

もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、

それを受け継いでやろうという人がいるなら、

それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、

収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。

 

 

すると別のサイト大阪の豊中市立少路小学校の

「春夏秋冬に寄せての人生訓(四季の心)」を見つけました。

 

 人に接する時は、春のような温かい心。

 仕事をする時は、夏のような燃える心。

 物を考える時は、秋のような澄んだ心。

 己を責める時は、冬のような厳しい心。

 

なるほどこのような、戒めはいくつになっても

同じだなあと腹に落ちるものがあり、

ブログのタイトルを変えました。

 

大人になるに従い、純粋な心を忘れ、

うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ

の7みの毒を心に積もらせてしまうものです。

 

その中で、このような人生訓を読めば純粋な

心にリセットできるのではないかと思うのです。

 

 

「春夏秋冬に寄せての人生訓(四季の心)」

 

「人に接する時は、春のような温かい心」とは、

まわりの人や友だちとの交わりの心がまえです。

春のように温かい心とは、他人に対する思いやり、

やさしい心です。友だちに対しては誠実に真心をもって接し、

本当の友情を育てていってほしいと思います。

 

「仕事をする時は、夏のような燃える心」とは、

仕事(勉強や運動)をするときの心がまえです。

勉強や運動にファイトを燃やし、情熱をもってぶつかる。

夏のように燃える心をもって挑戦してほしいものです。

 

「物を考える時は、秋のような澄んだ心」とは、

物を考えるときは秋のように澄んだ心でなければ

よい考えは浮かびません。素直な心で耳を澄ますように

心を澄ませ、秋のように澄んだ心で物事を考えることが大切です。

 

「己を責める時は、冬のような厳しい心」とは、

一番大切な心構えです。人はどうしても他人に厳しく

自分に甘くなりがちです。自分のしたことを冬の寒さのように

厳しく見つめなおし、振り返ることが大切です。

それによって成長した自分が生まれます。

 

 

それでは また お会いしましょう!