昭和56年は怒涛の年であった。
卒業して転勤で東京へ、当初は千葉の市川市の行徳にある
会社の寮に住み、築地に通っていた。
寮は賄いつきの綺麗なアパート形式で30人ぐらいが住んで
いた。
その後、東京の大崎に移り住んだ。
今でこそ、大崎ゲートシティという立派なビル群だ。
界隈は都市開発で未来的だ。
考えられない発展を遂げた。
当時 昭和56年ころは、駅は暗く、明電舎と喫茶ルノアール、
坂のところ立正大学があったことぐらいしか覚えていない。
まだ一人暮らしだったので
○○荘というアパートで、共同トイレの3畳一間に住んだ。
会社との行き来ができればいいと思っていた。
もちろんお風呂なんていうのは付いておらず
近くの銭湯へ通った。
食事は、行きは立ち食いソバ屋で、帰りは適当に定食屋を
みつけては入って食べた。
隣の住人は毎夜柔らかいクラシックギターを奏でていた。
アルハンブラの思い出が聴こえてくる、
心地よかった、一度訪問したことがある。
しかし、深夜になると今度はちょうど
部屋の天井=2階から罵声や怒鳴り声が聞こえる。
どんどんと音。取り立てが来ているようだった。
また、こんなこともあった。
私は1Fの部屋に住んでいたのだが、
部屋の窓を開けて休日を楽しんいた。
すると、ちょうど外の細いアパートの袖通路沿いに
風体の悪い姿の新聞の勧誘が来た。
窓越しに、しきりに話をしてくる。
「すみません、契約できません」
とお断りしたら、
しばらく話をきいていると、急にヤーさん口調に
なって
「こんなに長い間、話させておいておまえ
契約しないのか!」
と、脅してくるのだ。
後ろには2人ほど強面の男が立っている。
だいたいサングラスに
白い背広っていうのからしておかしいのだ。
すると、血相変えて
「今、上の者を連れてくるので首を洗って待ってろ」
とくる。
正直・・・びびった。
アパートには大家さはいないし電話もない、
ほどなくどかどか 一味が親分連れてやってくるのが
わかった。
あの感じだと
殴られたり手足でも折られたら目もあてらない。
そこで、一か八か一世一代の演技をうった。
小さなドアをガラガラと開けて入ってきた。
矢先、三つ指ついて頭を下げ、
「本当に申し訳けございません。引っ越しの予定も
ありますし、今回の契約はできません。」
と深々と頭を畳につけ ひれ伏した。
少しの間をおいて
親分みたいな人が言った。
「兄ちゃん、此処いらはわしらみたいな輩が
いっぱいいるので注意しろー」
といって、立ち去っていった。
私は
ほっと胸を撫ぜ下したが、
なんとなく気分は爽やかだった。




