ここ数年 思うことがある。

普通である人が優秀であるということである。

 

 

朝の挨拶、会釈や笑顔、気働きなど、日本人が備えていた

道徳や、感性が本当になくなりつつあるように思うことも多いし

それが備わっていない 若い人も多い。

 

もちろん 大人でも出来ていない人もいる中で、

昭和 40年代頃まで 日本では普通に出きていたマナーが

今 普通に 出来る人は 

 

優秀

 

なのである。

 

米国式の凄さは 多民族で、貧富の差も大きく、

学校も行けない人や スラムで働く人暮らす人、

そうかと思えば超エリートがマンハッタンに住み豪華な暮らしを

して、メイドを雇う。

そんな 不均一な 品質がまばらな 民族的な構造だからこそ

マナーがない人も 豊かな人も ・・宗教すら違う世界が 存在する。

 

しかし あのディズニーランドのように 誰が 接してもホスピタリティ 

笑顔豊かなキャスト=店員、スイーパー、案内者・・・ が 

ゲスト(お客様) を 迎えることができるのはなぜか。 

 

ディズニーランドのマナーやホスピタリティ豊かなサービスは

多民族国家の 米国では 雇用される人は すべて、

ディズニーマニュアルに 沿って従ってやれねばならない。

だから

誰でも満足のあるおもてなしが 出来るようになっているのだ。

出来なければ あなたは要りません 解雇です

というのが 米国のドライなところだ。

 

それに 引き換え、

中途半端に 米国流を とりいれてしまった日本社会。企業。

昔ながらの 日本人に備わっていた道徳観念が 廃れ

昭和40年まで 誰もが できていたことが 

今 出来ない時代になっている。 

米国流にやろうものなら 反発し、 

性善説で おもてなし精神が すべての人にあると信じやっていると

全くできていないどころか、 自由であるべきだ と言い出す。

 

日本文化の精神・・武士のたしなみ、そして おもてなし精神は 

暗黙に 家庭で学校で社会で 学び 当然なことのように毎日あった。

日本の生活の中にこそ 息づいていた マニュアルだった。

それが 徐々になくなって いっていることに 気づいていない。

 

自由主義 とか 個人尊重 とか 個人の権利ばかりが

正とされ取りざたされ 長い年月によって培われてきた 日本人の道徳。

世界に誇る 礼儀、マナー文化、 物言わずとも分かり合える人と人。

 

そうかといって 

ディズニーのような マナー ル-ルや規律本をつくれば 守らない。

守れない ルールはいやなのである。

根本には 日本人独特の暗黙の・・といったDNAがもたげてくるからだ。

何もルールがなくても やっていけると自由に走る。

 

それは やらなければペナルティが発生するという ことがないためだ。

いいわ いいわで やり過ごしてしまう。 

米国のいいところどりだけを真似し、厳しさをはずす。

厳しさの中の自由という世界、

フリーダムでなく リバティでなくては 成立しないのが 本来の米国流だ。

 

いったい この国は どこの国の人に なってしまったのかと 

思うことがある。

日本でも アメリカでもない。

 

今一度 私たちは本来の 日本人の精神に立ち返って

日本をとりもどさねばならない。

 

久喜駅前の銅像だったように思います↓。