今日は秋晴れ。
皆さんは 秋は満喫されていますか。
先日 箱根方面は 大渋滞だった模様。
これは↓ 住まいの屋上から 眺めた南の方向、
海がみえ、海までは5キロといったところ。
山の中腹には旅館かホテル、企業や学校の
保養所が点々としていて 夜になると灯りが綺麗だ。
東京にいた時との 気持ちの 差を考えると
世間のニュースに あまり気を とめなくなって
やはり 大自然と 心が 近くなったように思う。
人は便利さを求め 時をかけて
世界を 人工的なもので 埋め尽くしきたのだけれど
それよりもずっと以前から すでに 自然はあり、
便利さでなく それぞれの命を基準にして 守り 繁栄し、
様々な種に分かれながら
この地球を 生物の楽園としてきたのではないかと思う。
時をかけて 研ぎ澄まされた一定のルールの中で
日々を積み重ねる。
<日課として長い階段を上ることにしている、運動不足解消です>
太陽の公転と 地球の自転という
大いなる偶然によってできた 世界において
今も 過去からの 時は 刻み続けいて
すべてを支配し わが命でさえも その手の中にある。
遍く物が 今 という 瞬間を 共有している。
途方もない 何かが あって
それを 神と 言ってもいいが、
瞬間的に消えていく 現在 今を
自動的に それがあったという記憶を 連続して
記録させられているのだろうか。
その 記録された 無限のそれぞれの
経験知が 寄せ合わされて 人類は発展してきたわけだが
本当は 個々の記憶 や経験 など 自然や宇宙にとって
どうでもいいのかも しれない。
<東京湾>
木っ端みじんに 地球が消えてなくなれば すべてが消えてしまう
しかし どこかに ストックされるのか。
アカシックレコードというを聞いたことがある
すべてのことが 記録されている 宇宙の知識庫とでもいうのだろうか。
そこに 納められるのだろうか。
もし
図書館のように 遍くものの記憶が無限の
知識として 格納されて 次なる世界の
何かがそれを 認知することができたなら
個々の 無限の種の 無限の経験や 知識は
とても 価値のあるものだ。
この 考え自体が凡夫の頭で 考えついたもので
解は 導かれないもので
未来とか 過去とかが 存在していることを前提に
すべてを 自分勝手に 決めつけている。
まったく わからないことばかりである。
こうした 考えですら
存在しているというよりも
存在したというよりも
川の流れ のような もので 止まることはない。




