2008年。

音楽活動としては 丸10年の歳月が過ぎ去った。

10年ひと昔という ひとくぎり。

 

ふりかってみようと思う。

 

ITコンサルタントでありながら、音楽の世界にチャレンジ。

昔から音楽が好きだったので、そのまますんなりと入る込める世界です。

10年前は は WSでミュージカル曲ばかり歌っていました。
レミゼブルやミスサイゴン、オペラ座の怪人・・・ これらはクラシックの人が歌いたがるナンバーばかりです。

 

なので ミュージカル仲間友人と コンサートを開いたりしていました。

聖蹟桜ヶ丘でのホールコンサートでは Xmasコンサートをプロデュースを

全面的にやり、功をそうし定員の数倍の来場者がきてしまい入場制限する事態

になったなこともありました。

宣伝と告知をすればコンサートは いけるなあと思いました。

コンサートは 宣伝と告知の比重がとても大切だなあと。

 



しかし新しい歌のスタイルを創造しようと思い

 

自らのハイボイスと実声(地声)で歌った斬新で創造性のある曲を制作し、小さなインディーズレーベル兼音楽事務所に持ち込んだ「百億の星、千億の愛」というオリジナルソングがスタートでした。
とても小さいところで、事務所社長のコネでプロモーションを回している感じ、社員も入替わりが多く2つ3つアーティストが所属しているようでしたが、会ったことはありません。

アーティストがCD制作やマネジメント契約金を会社に供与してはじめて活動が始まるというところです。
きっとこの手の事務所は多いと思います。
なので 普通、誰もが考えるような、入所したらギャラや出演料をもらえてアーティストはお金は必要ないというような甘いところではありません。

もっと酷い事務所は音楽レッスンと称して、アーティストに支出させてダンスや歌の特訓をさせるところもあるようです。若い人なんか多いのではないかと推察されます。
1年半ほど在籍していたでしょうか。

「百億の星、千億の愛」「富士」「美しの国」
のマキシシングルはその事務所さんで制作したものです。

又FM東京系のミュージックバードという番組の1番組を担当もしていました。衛星ラジオ放送で、コミュニティFMとネットワークしていましたが、残念ですが当時はまだスマホがまだまだ出てきたばかりで、ネットでは聴けない年代でした。(今は聴ける)
途中 ラジオ日本の15分番組も担当していました。

FMラジオのパソナリティは それなりに楽しい時間で勉強にもなりました。


でもね どちらも視聴率がないような朝6:30とか深夜23:45でした。

又、浦和ワシントンホテル内のレストラン「奈のは」で毎週ランチタイムにギャラをいただいてのライブ出演をしていました。

NHKTV長野とかNHKーFM名古屋出演もこのころだっかな。



シニアの仲間入りの年齢でしたしたしこういった資金力のないインディーズレーベルはやっていくのにかなりの自己資金が必要だなあ=マネジメント料がめちゃ高い。
だから 契約継続せず フリーになりました。
これにも業界の商習慣みたいなものがあって、契約に解約後半年間は活動できないような条項があったように思います。

そして 2011年~12年ぐらいには 春日部市のモール、ららガーデンでのフリーライブを中心に歌を歌い始めました。こちらの方が実になると思ったからです。

週に3回、4回ララガーデンで歌わせていただくこともあって、モールの担当staffの方も
「ステージ空いているから、使っていいよ」っていうので思う存分フリーステージをさせてもらっていました。

当時の持ち曲は インディーズから出した上記の
「百億の星、千億の愛」や「美しの国」など。
それにカバーでアメイジング・グレイスやアヴェ・マリアで。庭の千草と木星をオリジナルベースで歌いはじめました。完全なオリジナル曲は少ない時期です。 

毎週のように毎回僕の歌をモールの丸い柱の陰で聴いてくれていた男性もいらしゃいましたし、今もファンで時折モールへ来ていただく方、そのほかにも少しづつファンが出来ていきました。

ララガーデンでは 木陰で座るところもあり半野外のステージです、ここではなぜか毎回沢山CDが売れ、次から次へと新しいお客様がくるという印象で、お客様も満席が定着していった時期です。

 

病院や福祉施設の 慰問演奏にもよく出向いていました。

老人ホームさん。

 

 

 

又劇団さんを誘い プラネタリウムコンサートも開催しました。

真っ暗と星々・・ロマンチックなコンサートです。

 



しかし途中でララガーデンのスタッフさんの人事異動や先方体制の変動!で ララガーデンでは出来るチャンスが極端になくなりましたね。
くじで決めるという方式にかわったので他イベントとの予定も立ちにくいし土日しかできないのでここでの活動を諦めました。
お客様からファンクラブのお話もちらほらあったところでお客様もステージを心待ちしてくれる方もできました。

この先もっと思っていた矢先でしたので、とてもショックでした。 中にはファミリーで応援してくださり、クラシック好きの娘さんが大ファンになってくれたご家族もいて、とてもいい思い出です。
キウイが喉にいいからってご主人がお持ちになってきたことが懐かしい。

その後、イオンモール春日部でフリーライブを開始。
春日部地域での活動拠点確保で一安心でした。
春日部といってもララガーデン春日部からはずっと離れていて千葉県野田市に近いところでした。
新しいイベント会場で 新しいスタートでした。

「藤の広場」というイオン春日部では人が流れていないモールの場所でしたが、ららガーデンさんからシフトして聴きに来ていただけるお客様もいて、回を重ねるごとにお客様が増えていきました。

2012年にはワカバウオーク(坂戸市)、西東京ASTAモール、大さん橋国際客船ターミナル、日暮里マルシェ、ららぽーと新三郷などで歌っていました。

2014年からはイオンモール春日部の他に、ショーサンプラザ上尾やウニクス伊奈、ウニクス南古谷、イオンモール北戸田などへも進出しました。
メディアに露出はゼロで当たり前ですが所が変わってしまうととたんに応援している人やファンも減ります。

行動範囲やお年齢や 家族のことなどなどで 
なかなか遠方へと足をのばせない という現状もあるようです。

メディアなどでの露出、TVやラジオでみれるのでいいのですが、お会いできない分だけ、だんだんアーティストへの気持ちも薄れていきます。

でも歌でどこでもお客様は必ず立ちどまり小さくてもファンになっていかれる方もいて毎回、楽しいフリーライブ活動でした。
「いつもここを通るんだけど、CDをはじめて買った」というお客様もとても多かった。

あれから10年、僕も当時のお客様も10年、年齢を重ねたことになる。
若い世代の10年と 

シニア世代10年は 人生密度がまるで違う。

後半に向かえばむかうほど、貴重な時になっていくと思う。

 

如何にして自分以外 他を幸せにできるか 

 

安泰にできるか、自然にやさしくできるか、

 

如何に生きていくべきか。 貢献できるか。

 

もっと勉強して 死ぬ前になって後悔しないように、 

 

人としてこの世界において 

 

必要な存在 でありたいと思う。


その2へ続く。