そう 今の母は 育ての母。

産みの母、実母は、ちょうど物心がついた
やっと友達ができるような 3~4歳の頃だったと思う、
他界してしまった。

せまい市営住宅で おじいちゃんと おばあちゃんと
僕と 母の妹と 母 で暮らしていた。
父はというと どこかに、いってしまっていた。

実母と他界するまでの 記憶も 少ない。

母の背中に おんぶされている感触。

銭湯へいって レモンの形をしたシャンプーが 
目に入って ワーワー泣いたこと。

長屋に住んでいた時もあって 
当時 貧乏で 共同の厨房にいる光景。

中でも、お風呂で 母に抱っこされた
あの ぬくもりは なんだか不思議に覚えていて 
すべてから守られた あの 暖かさこそが
愛 そのものかもしれない と思う。

母は 急性腹膜炎、手遅れという残念な病死だったらしい。

薄暗くて小さな和室に寝ていた母の枕元には
水差しがいつもあった。

お母さんは 具合が悪いんだなあということは
なんとなくわかっていても その重大さは全くしらなかった。

母が 救急車で運ばれる時、
僕は近所の ともだちと 外で遊んでいた。
昔は都会のどこにでもいた ザリガニを みていたかに思う。

けたたましくサイレンをならし赤いランプをまわした救急車は
自宅の前で とまった。

近所の人が ぞくぞくと でてきて 騒々しくなっていく。

僕は 何がおこっているのか わからずに
電信柱の影から そっと そちらの方をみていた。

記憶とは なんとおかしなもので 次のシーンは 病院。

薄い青色の透明な酸素マスクをつけ 病院のベッドに横たわる母の姿と
病院特有の あの消毒の臭い・・・。

これでこの記憶は 終わる。

次の記憶は、もう飛び越えて、
納棺のシーン 僕は きっと親戚の人に抱っこされていて 
花束が 棺おけに 次々に ささげられ 

皆が まわりで すすり泣いている。

そして 棺おけは 火の中へ 音を立ててすべりゆく・・
この時 自分の母が 死んだのだ と直感したような気がする。

これで 生前の実母の記憶は 終わっていて、
次の 母の 記憶は 小さな仏壇に
たてられた 母の顔、白黒写真。

頬に小指を おしあてて 笑顔でいる。

その写真の前で 青いプラステチックのお猿さん人形で
無邪気に 遊んでいた記憶。

これが 産みの母 実母のすべての記憶。

春 4月に 逝った。

今から思えば 産みの母の 人生はいったいどんな人生だったのだろうと 
思い巡らせることはできても 当時の記録もなく 
ルーツを 探すあても もはや ない。

けれど 当時には 母の人生 歴史があったのだ と 思うと
死去してしまったという せつなさの反面 その存在がなければ 
今の 自分がない。

時折 年老いていく 現在の育ての母をみるにつけ

僕の人生の中では 2人の母への感謝の念は 絶えない。


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