来月21日は 渥美半島・・・ 伊良湖岬へ。
渥美文化会館 多目的ホールにて ピアニスト
宮部まどかさんのピアノ演奏とTaROの歌です。
渥美半島の田原から南方へ、そして足を少し
のばすと そこは あの唱歌
椰子の実 の歌で有名な 伊良湖岬。
大学時代には 時折友人と 大学の部活が引けてから
ドライブをしたものです。

恋路路ケ浜 や 灯台。
まわりの景色は 南国ムードも漂っています。
ヤシの木が両端に続く道路もあります。
以前 ラジオで 唱歌の話しをしたことがあります。
作詩の 島崎藤村と あの 民俗学者の 柳田国男 が
友人であったのを知って
あの頃は 今でいえば偉人たちの巣窟
皆 友人だったかもしれないと思い。
不思議に思います。
明治維新の立役者たちも皆出会っていますよね。
先のノーベル化学賞を受賞した方々も友人知人のようです
ので、もしかしたら
その時代に縁ある人、科学 文化 などに
人々に 貢献している人たちって
同じ時間軸 で 会い 交流している。
生き様やスピリットが引き合うのだろうな・・・と。
自分のまわりに縁あって 話し 行動し 生活をし
歌い・・・ それら 友人知人たちは
それぞれの 世界の中で 未来に貢献していく
人達かもしれませんね。
--------
1898年(明治31年)夏、
東京帝国大学2年だった柳田國男が
愛知県の伊良湖岬の突端で1か月滞在した時、
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、
椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は
南洋諸島だと確信した」
といった話を親友だった藤村にし、
藤村はその話にヒントを得て
「椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂い」を重ね、
この詩を詠みました。
「椰子の実」
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
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渥美文化会館 多目的ホールにて ピアニスト
宮部まどかさんのピアノ演奏とTaROの歌です。
渥美半島の田原から南方へ、そして足を少し
のばすと そこは あの唱歌
椰子の実 の歌で有名な 伊良湖岬。
ドライブをしたものです。
恋路路ケ浜 や 灯台。
まわりの景色は 南国ムードも漂っています。
ヤシの木が両端に続く道路もあります。
以前 ラジオで 唱歌の話しをしたことがあります。
作詩の 島崎藤村と あの 民俗学者の 柳田国男 が
友人であったのを知って
あの頃は 今でいえば偉人たちの巣窟
皆 友人だったかもしれないと思い。
不思議に思います。
明治維新の立役者たちも皆出会っていますよね。
先のノーベル化学賞を受賞した方々も友人知人のようです
ので、もしかしたら
その時代に縁ある人、科学 文化 などに
人々に 貢献している人たちって
同じ時間軸 で 会い 交流している。
生き様やスピリットが引き合うのだろうな・・・と。
自分のまわりに縁あって 話し 行動し 生活をし
歌い・・・ それら 友人知人たちは
それぞれの 世界の中で 未来に貢献していく
人達かもしれませんね。
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1898年(明治31年)夏、
東京帝国大学2年だった柳田國男が
愛知県の伊良湖岬の突端で1か月滞在した時、
「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、
椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は
南洋諸島だと確信した」
といった話を親友だった藤村にし、
藤村はその話にヒントを得て
「椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂い」を重ね、
この詩を詠みました。
「椰子の実」
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷(いきょう)の涙
思いやる 八重(やえ)の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
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