七月半ばから八月半ば限定の ASKAブログは
まだ続いてる


そこは その人の心を聞き 
動向を知り得る ファンの唯一の場として
また その人に声を伝える ファンの唯一の場として
奇跡的にのようとも 当然の如くのようとも
とにもかくにも残っている


ファンが書き込むため 延々スクロールする大変さを思いやり
五日に一度ほど更新してくれている


たくさんの優しい言葉に叱咤激励も混ざっている
非難も責める言葉もそのままにしてある


面白がりの毒も 敵意のような毒もあるが
大抵の人たちはスルー
それとも気にも止めない素振りなだけか・・・


響かないものは響かないばかりか
反論は 逆によけい愉快にさせるだけと知っているから


ともかくその人は 歌を吹き込む日々だそうだ
アルバムを年内に出したいそうだ


皆が読みにくかろう 書き込みにくかろうと
ちょっとした様子をしたため更新もしてくれてくれる


これが本来の その人の善き一面であると信じよう
大御所扱いされるたび後回しにされていった 本質の一部と


もしロウで固めた羽根が溶けて墜ちたなら
今度は大地にとどまり 最期まで歩くのもよい


自分のように道を誤ると決して立ち直れないと言われる
だが 数少ないそうでない側の先頭を
必ずや進む
そう宣言した人


自らハードルを上げた その気概を信じよう
その言葉その気持ちには嘘などないと分かる


きっと あらゆる誘惑があらゆる形に姿を変えて 
昔に引き戻そうとする
善いものにさえ化けて近づいて来る
大事なものを人質に選択を迫って来る


だから 
絶対もう昔の自分には返らない と
いつでもそう唱えてなくてはならない


「地の底にあってさえも 心はいくらでも高みに行ける
それが人というもので 人に生まれた理由でもあるはずだ」
とでも言い聞かせておくかな・・・


なんてな感じでどうでしょ


事件で初めて知り 歌を聴いたらファンになったという人もいる
縁とは不思議なものだ


そんな秘めた力を持つ歌の数々を産み出したのは
知っているでしょうけど








ASKAさん 
アナタなんですよ


その決意と未来を信じて
力を貸してくれる 善い縁ある関係業界の人が現れますように









そうでなくてもパッションは        
落ち着いて来るものなのに


一度の躓きで        
あの人はたくさんの大事なものを失い
その皺寄せで
私たちもそれぞれに大きなものをなくした


わたしは創作の意味を忘れ        音楽を楽しむこともやめた
友と疎遠にもなってしまった


その人のせいにするつもりはない
責任取れとも思わない
ただその気力が萎えた


例えばわたしは小魚で
とても心地よい湖を        自由に泳いでいたのだが
ある時         湖に毒が混ざりこんで        
わたしはプカプカ腹を上にして浮かんでしまった


苦しくはないけれど        
海溝の底くらいの虚しさを感じながら


昔のようにうきうきラブラブ感覚とは違う
きょうだいのような大親友のような心配で
それとも近い近い身内のような憂いで
今は見守っているところ


あの人の詩が好きだ
わたしのありきたりに刺激をくれる
新鮮な水を注ぎこみ毒を薄める


まるで死にそうな魚の原因が        
また生き返らせる新たな環境でもあるなんて
何だか不思議あらら摩訶不思議
六季か・・・


春夏秋冬じゃなくて
今や春、夏、梅雨、焼夏、秋、冬じゃないかって


子供の頃
街にナイアガラの滝ほどの雨が降り注ぐなんて
思ったこともないよ


子供の頃
体温を上回るような気温なんて
想像もしなかったよ


「焼夏」だなんて
ジュウジュウって音が聞こえてきそうだね


あのさ
灼熱の「灼」は「やく、あぶる」って意味らしいから
「灼夏」ってどう?
ジュウジュウって聞こえる?


それとも
最上級の暑さを「極暑」と呼ぶのだから
最高に暑い夏は「極夏」とでも呼んでみる?
ジュッ!て一瞬で蒸発しちゃいそうじゃない?