東京都の日の出町 で老人医療の無料化が始まった。正しくは、後期高齢者医療制度は一地方自治体では変えられないので、一割負担金の立替払いである。医療機関、薬局で、診てもらえば、一割の受診料を一旦は払い、後で領収書を町役場へ持って行ってキャッシュバックを受ける仕組みである。法治国家としてはいったん法律が施行されると遵守義務が生じ、勝手にいじる事ができないので、このような面倒な方法しかとれない。日の出町長(80)は、全く評判の芳ばしくない後期高齢者医療制度に抗して、一年かけてこの方法を考案したのだ。
 東京都の日の出町 といっても馴染みが薄いが、中曽根内閣時代、中曽根康弘氏の別荘で米国のレーガン大統領とトップ会談 を開いた場所と言えば思い出すのではなかろうか。人口約36,000人の東京都とすれば、多摩山中の小さな町だが、80歳の町長には失礼かもしれないがやることが大きい。東京都は超優良財政を誇っているから出来ると思って、ホームページを開いてまた驚いた。
 財政再建にあえぐ自治体とは大違いである。無理な合併には振り向かないで、ハコ物行政とは縁遠く、職員のラスパイレス指数も標準以下で、情報開示も立派なものである。福島県矢祭町 といい、日本全国探せば立派な町はあるものだ。これも首長の考え一つでやろうと思えば出来るもので、トップが号令をかければ部下はついて来るものである。高度成長期の地方財政が潤っていた時期に、一部地方自治体が老人医療を無料化したところもあったが、大体は借金を後世に残した例がある。日の出町がそうならないことを祈るばかりである。


 「屋上屋を架す」例として、年金問題で、第三者委員会の存在がある。厚生労働省には社会保険庁に年金調査委員会があるにもかかわらず、年金問題に関して調査を依頼すると門前払いされる。あまりに対応の酷さにブーイングの嵐が吹いて、総務省所管の第三者委員会が設置されると相談がすべてそちらに移った。
 厚労省としては面白くなく、資料を開示せねばならなくなったが、最初から懇切丁寧に対応してればそうはならなかった。社保庁の委員会は省益を優先するあまり、不埒な対応しか出来なかったのだ。おかげで
過去の仕事の杜撰さが次々明白になり、職員の公文書の改ざん、横領、ヤミ専従まで上がる始末である。
 行政機関には一応、不正不満を受ける相談窓口があることには有るが、正常に機能しているとは言い難い。郵政省には郵政監察局、警察庁には管区警察局など、行政はサービス業だから金銭に絡む不正が起こりやすい。ところが、身内が身内を調べるから手加減を加えるのは当然で、監察局を監視する第三者委員会が必要になる。さらに第三者も都合のよい人選をしていないか監視する、第三者を選任する委員会を設けなくてはならない。どこまでいっても、本当に理解の得られる組織が出来ないのだ。信頼関係が崩壊すると落語のネタである。
 他にも監視機能が十分に機能していないものに会社の監事、公益法人の評議員などが上げられる。それぞれ法律を改正して機能を強化したものの真価が問われるのはこれからである。公正取引委員会という査察権、摘発権を持った機関は、企業の適正な競争を促すのにそれなりの役割を果たしているが、昨年問題になった食糧事務所、会計検査院は依然と事前通達をしてからの査察では効果が期待されない。屋上屋を架す結果にならなければ良いが・・・。

  各種行政委員の報酬が問題になっている。月に1回あるかないかの委員会に出席して月給を支給される。それも地方自治体で支給額が異なるが、7~8万円から、20~30万円まで。多いか少ないかは評価の分かれるところだが、本来ボランティアであるべきところを有識者ということで、いとも簡単にお手盛りする体質が残されているのだ。
  地方自治体の行政委員は、GHQが戦後、地方自治を認めた段階で、首長が直接選挙で選ばれるため、行政の私物化を抑止する意味で置かれた経緯がある。その監視される首長が委員を議会に推薦し、同意を得て任命するという不思議な仕組みである。本来なら民が選んだ議員によって首長を監視するのが本筋だが、専門的事項を補弼するため第三者的な有識者を選任している。首長が独断専横的に介入出来ない仕組みとなっている。
  主に、学者、弁護士、マスコミ界、議員OB等が指定席となっている。公務員給与を諮問する人事委員、予算の執行状況を監査する監査委員、土地の収用を審議する収用委員、農地の転用を審査する農業委員会、教育全般を審議する教育委員など。教育委員長と教育長は全く違う。行政委員会はそれぞれ委員会のための事務局を有し、職員が配置される。教育長は教育行政のトップで、教育委員長は教育委員の長である。どっちが偉いかは解釈による。
  一応、行政委員は特別公務員で、議会の同意人事である。であるから、月給を払わなければならない理由にはならない。首長にしてみれば、自分より上の存在だから責任上、報酬を払って公平さを保ち権威付けしているように思われる。

 資格ばやりである。機能訓練指導員という聞き慣れない資格も、厚生労働省から委託を受けて一千人位いる。介護保険制度が制定されて、出来るだけ介護の世話になるのを少なくし、自力で生活するように身体の機能を活用するべく指導する役目を負う。いま流行の予防医学の類の一種である。

 介護保険といえば、平成18年に法律が改正されて3年目の見直しが今年であり、介護認定と介護従事者の報酬が見直されたが、介護認定については2週間前に厚労省から案が発表され、現場では急遽、認定基準講習会を開き、対応にてんやわんやである。毎度のことと言えばそれまでだが、今回は悪質である。前もって、介護認定が厳しくなるとの観測気球を上げ(マスコミに情報を漏らし)、その詳細な中身は直前まで発表しない。正確な内容を早く発表してしまうと猛反発を受け、頓挫しかねないと危惧したからだ。それが、現場とのズレを招いているのがまだ分からないらしい。

 通達は紙切れ一枚で何とでも書けるが、実施するのは行政サービス現場である。定額給付金もしかり。法律と通達との違いである。方や、国会の承認がいるが、通達は省の思惑で決まる。公務員パッシングが続く中で、真面目な公務員も多い。上から下命されれば、忠実に従うのが雇われ者の宿命みたいなもの。命令を下すものは、現場の混乱など知っちゃいない。

 今回の介護認定の見直しで大きく変わったのは、全国でバラつきのあった認定を統一基準にするもの。例えば認知症の場合、簡単な聞き取り調査で介護5が付与されるが、これは本人の申告によるから作為が見抜けないという嫌いがあった。そもそもコンピュタにデータを入力するのに人間の作為など判定できるわけが無い。そのため全体の判定が厳しくなり、今まで週に3日来てもらっていたヘルパーさんが2日に削られる結果となる。

 道路交通法の度重なる改正と同じで人間の作為で、事故が増えれば厳罰化せざるを得ない。一部の不心得者によって、全体が迷惑を被る。たとえ特記事項が付記されていても毎週たくさんの機械的な認定作業で、一枚一枚に目を留めることは至難の業であろう。


逆境を克服した喜びは、経験した者でないと実感できない。逆境にもいろいろあるが、自分では、これが人生最大の逆境と思ってみても他人から見れば、単なる悲しみの一種かもしれないが、それは感じ方の違いで、それをとやかく言えない。要は乗り越えれたか、挫折の道をとったのか。例えば、幼くして両親を亡くし、親類の家で育てられたとしよう。素直に前を見て大人になれば、同世代の人より一まわり逞しく感じられるし、最初から諦める道を選んだ人間はいつも逃げる方向にしか成長しない。社会にとってどちらが有意かといえば、当然前者だろう。障害者にしても、障害に屈する人間と、障害をバネに伸びる人間では、後者が社会には有益なのは当然である。有意とか有益というのは何も社会に大きな働きをしたとか貢献したことをいうのではない。普通に他人に迷惑を与えないで、平々凡々な社会生活を営む事を指す。こういった可能性を最初から無理だろうと政治が判断することは、人間の尊厳を踏みにじることで、誰にも許される事ではない。