日本では皆既月食が曇り空で見えなかったとかに狂騒しているが、


その間に世界では数学オリンピック(ドイツ)と物理オリンピック(ブラジル)が


開かれ、日本は金メダルを7個獲得した。


受章者はほとんど高校生ばかりで、夏休みに入っても1週間の


合宿を経て大会に臨んだ。毎年、世界の各地で開かれているが、


昔はたまに聞いたが、最近はとんとニュースにならない。


注目度がないからニュースにならないのか、外信部から入っても


デスクが見向きもしないのか定かではないが、


いつまでも記者クラブから流される画一的な原稿を


機械的に編集しているようでは、政治の堕落を批判する資格はない。


警察の記者クラブから出るニュースは殺人やら事故など


暗いニュースしかないのが当り前で、


明るいニュースは記者が足を使って探し出してこなければならないのだ。


 スポーツ界では金メダル7個といえば快挙だが、


同じ個人の努力の結果にしては評価が低すぎる。


少資源国として日本の生きる道は技術力が欠かせない。


体力でも外国に劣る日本人が、身体を鍛えて世界一になることは


素晴らしいが、頭脳で世界一を獲るほうが


もっと素晴らしいのではないか。人が注目するから流すのが


ニュースでなく、立派なものは注目をされなくても流すのが


メディアのつとめである。護送船団方式というのがあるが、


すべて同じように事を進めていけば、大きな間違いは


起らないそうだが、それが大きな間違いである。


55年体制、東西冷戦、高度成長が終わって、


各自それぞれが責任を負わなければならない時代に、


全員が同じ事をしていたのでは時代にまったくそぐわない。


個性の時代とか感性の時代とか言われるが、


教育が高度に進めば感受性も高度化し、個々の価値観を


一元的に捉えることに無理がある。


マスメディアが人材を入れ替えて高度化する事を願う。


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 東京第3検察審査会が、西松建設政治献金問題で、二階派


政治団体「新しい波」がパーティ券代金830万円を受領した


会計責任者を不起訴にしたのは不当とする議決をした。


一方の民主党前代表の小沢一郎衆院議員の筆頭秘書は


逮捕・起訴されて、与党の閣僚は調べられない。衆院選挙を目前にして、


与野党で扱いが違うこと自体が疑惑をもたれても仕方あるまい。


どうもこの問題は元警察庁長官の漆間官房副長官が、「西松建設問題は


与党におよばまい」と口を滑らし、国会に喚問しょうとしたが不発に終わり、


もっと前の今年2月には長野県の村井知事の側近である


右近謙一長野県参事(59)が東京地検の事情徴収を受けていたが自殺し、


これもウヤムヤに終わっている。この自殺があり、小沢氏の秘書の


逮捕を焦ったとも言われている。いずれにしても不思議なことが多過ぎる。


また、検察の情報漏洩が甚だしい。公務員の守秘義務などどこ吹く風


とばかりに、捜査情報があちこちから漏れ聞こえる。


マスコミも検察のリークを鵜呑みにしウラも取らないまま記事にしてしまう。


さすがに最近はデスクも気付いたのか、迂闊な事は書かなくなったが、


取材力のさもしさは否めない。最初は村井氏から始まり、


野党党首の秘書を逮捕して、金額の桁が違うと与党の議員は


お咎めなしでは、国策捜査と疑惑を持たれても仕方あるまい。


検察審査会は一般国民から選ばれた審査員であり、これからも官僚の


書いた筋書き通りの答えでなく、正義を貫いてもらいたい

           

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 安心社会実現会議(座長・成田豊電通最高顧問)が、


最終報告書を麻生太郎首相に提出した。


それによると、①雇用の安心②子育ての安心③安心した教育


④医療の安心⑤老後の安心─の5分野の安心を世代間の切れ目なく、


連携することが必要不可欠、との提言をまとめた。


もっともな話で、政権が変わろうともこれら5項目は、


国民が生活する上で欠かせない点だろう。


しかし、うがった見方をすれば、これは官僚が敷いた路線に


乗せられたとも考えられる。


国政の根幹は、外交と防衛など国民の安全を図る事を第一義とする。


その上で、国際間の金融問題を調整したり、国の財政のバランスを


図るとともに地方との整合性を図るのが国の勤めのはずである。


国民の生活の安心にまで細かく口を挟むことでもないだろう。


第一政策を実施するのに、財源をどうするのか。


提言では消費税までは踏み込んではないが、与野党を超えた


円卓会議の提案までしている。まさに官僚の思う壺である。


まず憲法をきちんと直して、国のあり方の大枠は国が決め、


実践は地方が行うのが筋ではないか。そのための予算配分と


人材配置を決めるのが国政である。


省庁の仕事を審議してどうするのか。


明治以来の官僚制度は制度疲労を起こしているのだから、


御免被りたい。


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 太宰治の生誕百年目を迎える。太宰治が没したのは


6月13日だが、愛人、山崎富栄と玉川上水に入水して


発見されたのが昭和24年6月19日と、誕生日と同じ日で


正しくは桜桃忌もこの日を指す。


没後60年たっても周忌が行われ、本屋ではフェアが


開かれる太宰治がこれほど人気を博するのは何故だろうか。


破滅的な人生感、退廃・虚無的思想は、現在の自殺者


年間30,000人を象徴しているかのようにも思えるが、


短絡的な結びつけは控えよう。確かに青春時代に読んだ


「人間失格」や「斜陽」などは悲観的な社会を幻滅するのに


共感を呼ぶが、「お伽草紙」や「ハローグッド・バイ」などは


百八十度違ったた太宰治観を知ることとなる。


とくに、お伽草紙はユーモアと諧謔性に優れ、


人生を楽しむかのような社会の見方を教えてくれる。


また「富嶽百景」では富士山の素晴らしさ、角度を変えた見方を


教えられ繊細な心象を披露している。


確かに一人の作家を追えば、画家でも文筆家、陶芸家でも


その生活している時代によって変化を見ることができるが、


太宰治ほど劇的な人生も少ないのではないか。4人の女性と


心中を試み、破滅的な人生を歩む。死後も評価は分かれるが、


概して好意的に受け止められているのは、若くして


人生の精算をしたことによるのか、早熟すぎたのか。


疑問である。


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