080228_1755~0001.jpg
江國香織さんの『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』を買ったのは、
何年前だろうか。私が幾つだったのかも思い出せない。
そんな本をまた読み返した。うろ覚えの記憶をたどりながら。

ただ、本を読んだその時の感想は覚えている。
私は、いつもそうだ。
タイトルや著者名は全然覚えられないのに、
やたらと感想とかは覚えている。なんと役立たずな記憶力。
それはさておき、当時の私の感想は一言『無いものねだり』


独身者は結婚生活を羨み、既婚者は独身生活を羨んだり、
単なる無いものねだりに過ぎない、と。

だけど改めて今読むと、なんていうか、分かる気がするのだ。
ただ話を黙って聞いて同調してくれるだけでいい、
日々に溜まった小さな失望感を忘れさせてくれるだけでいい、
ちょっとした隙間に入ってくれる人がいたら、どんなに楽なんだろう。
どんな淵にでも立てるかもしれない。

それは、他の誰かをただ好きになる、だけでいいのに。
でも、好きなだけでは止まらないよね。
きっともっと好きになって、私なら駆け落ちしちゃうな。
うん、しちゃうね、駆け落ち。


そういえば、職場の男子がランチ奢ってくれるっていうから、
それでチャラにしとくか…。とりあえず駆け落ちは。

みなさんには、こんな体験がおありだろうか?
例えば、「おんなってさー」と女の話をしているのに、
ずれている1人が「でも、おなべは・・・」と例外を持ち出す。
あるいは、「香水っていつつけたらいいか分かんない」と云ってるのに、
「そんなのいつでも、つけれんじゃん」などという論点を外した答え。

お分かりだろうか?
うちの職場にいる、巷では嫌われ峰不二子もどき、がそういう奴なのだ。

なんてことない海外旅行の話だった。
峰不二子は得意そうに、ヨーロッパの話をしてくれた。
『EUの中じゃ、どの国に行ってもパスポートに判子押さないで素通りよ!
 買い物行く調子でフランスからドイツへってなもんなの!!』
私は感心して、『それなら一度は周遊してみたい♪』と言った。
だが、よくよく考えて、観光ビザの3ヶ月はどうなるんだろう?と思った。

私は、峰不二子に尋ねた。
『でも、例えばフランスに3ヶ月いた後、ドイツにちょっと足伸ばしたいって
 思ってもビザが切れたらいけないんだよね?
 面倒だけど、パスポートに判子押してもらって出国して、隣のドイツに
 行けた方がいいような・・・・お得なのか損なのか微妙だわ。』
峰不二子は呆れたように言った。
『そんなのドコの国でも一緒でしょ!!』
『え、いやそうじゃなくて。EU圏内だったら、どの国行っても合わせて3ヶ月じゃ、
 一つの国に長居できないというか。』
『だーかーらー! ドコの国でも3ヶ月以上いたらもう入国出来ないようになってるの!
 そんなこと、当たり前じゃん!』
『・・・ふ、ふーん』

おわかり頂けただろうか?
つまり、私はEUというバックグランドに対して損得を考えたのであるが、
峰不二子はそれがすっぽ抜けて、単なる一国の話として考えているのである。
例えば、ドライブのように国境を渡れるなら3ヶ月じゃ足りないかもしれない。
ビザが切れて、日本とヨーロッパを何往復もするの大儀である。
それなら、隣同士でも出国入国管理された方が遥かに楽チンだと思った。


だいたい峰不二子と話すと、まともに論点が合ったことがない。
そして、原則的な話にいつも例外を持ち出して私を困らせる。

例えば、こうだ。
『女性は、生理が辛くて大変だよね』と言うと、
『いや、そんな女ばっかりじゃないでしょ』・・・分かってるよ。

『ブランドって、高いだけあって物持ちがいいんだね』
『いやいや、安いものだっていいものがあるでしょ』・・・知ってるよ。

『ウチのお母さん、大きい方だから私も大きいんだ』
『いやいやいや、うちのお母さん小さいけど弟はでかいよ』・・・そうでしょうよ。

殆どの会話がこれである。
最初に、否定。そのあと、例外。そのあとのあと、論点がずれた攻め。

別にいいんだけど、出来れば、そんなに怒らないで欲しい。
怒りながら、私のこと、話の分からないアホな奴っていう目で見ないで欲しい。
出来ることなら、話の分からない奴はあなただって気づいて欲しい。


そんな峰不二子に、幸あれ。
べつになくてもいいや・・・




114


誰かにも、やっぱり楽しくて楽しくて仕方がない、
そんな頃を持ってたりするのかな。
ずっと続くような時間を感じたりしたのかな。


久しぶりに飲んだ友人たちに毒気が抜けた、なんていう
お褒めなのか貶されたのか分からないようなお言葉を頂いた。
私も同じように思っていたから、驚きはしないけれど、
何一つ変わったりしない、と思っていたあの頃を一緒に
過ごしていた2人に云われると、時というのは何とも恨めしい。

ずっと一緒にいたいな、と願っても、私たちが別の人間である限り、
それはどんな努力も適わないような願いで、不可能にちかくて、
いつかは、逢えなくなるときがくることだって考えられる。
こんなにこんなに沢山の人がいるのに、逢いたいと思う人は、
そうそうに見つかるものじゃないものなんだ。
だから、くだらないことで笑い合った頃はずっと続いてくような、
そんな風に思ってしまうけれど、それは願いだったに違いない。



ずっと続くには、この世界の全てを止めてしまわないと、
私たちだけが変わらないでいられるはずがない。
だけど、変わっていく中でも続きがあるのなら、
それは本当の私たちになれるのかもしれない。

それが、友達、ってやつなのかもしれない。