その時には、気づけなかったと知るキッカケがある。
少し前に、カナダに行った別れた恋人を思い出すキッカケがあった。
何年も前、人に執着することがない私だった頃。
彼もまたそういう人だから、カナダへの留学が決まっていたのに恋人になった。
カナダまで、あと4カ月。
ライトにラフに、そう思ってた。
そして、最後の空港からの公衆電話。
今から出発なんだ、待たなくていいからね。そう、云い残して。
私は、彼が私を好きだと信じていなかった。
多分私には、彼の中に私を見いだせなかったから。
だけど、この曖昧さが私は楽だった。
会いたいと云われたとき、応えないことも多くて。
誕生日のプレゼントも、沢山の中で埋もれていた。
もちろん、彼を待つ気などなかった。
だけど、思いだした。
私の写真をカナダに持って行ったのも、
最後まで公衆電話から連絡してきたのも、
カナダから辛いと携帯に掛かってきたのも、
帰国したとの連絡も、本当は愛されていたから?
何処までも、私が笑ってる写真と携帯番号を連れていたんだろう。
そう思うと、つくづく自分の愚かさを思い知った。
結局、信じていなかったのは彼ではなく私自身だったんだ。
間違いを犯すこと、不道徳なところは誰もがある。
そんな告白を、私はいつも打ち明けられてしまう。
何故なら、私が曖昧で否定しないからだ。
人間だからこそ、過ちを犯し、そしてそれを学べると思う。
もしも、そこから何も知ろうとしないのなら。
私は理解することも、受け止めてやることも出来ないだろう。
自分が反道義的な事をしたと、1番痛く思うのは本人なのだから、わざわざ私が責める意味は其処にはない。
間違いを犯した本人が、それにより傷つき、何かを失うのだから。
それに、私だって偉そうに云えるほど、ご立派に生きてきたわけじゃない。
沢山の人たちが、自分を見失うほどの痛みや苦しみ、孤独を味わっているだろう。
そんなときに傷つけてしまった何かを、責めることは私には出来ない。
何かを傷つけた分、自分も酷く傷つく。
そして喪失感や罪悪感と共に生きることは、本当に苦しい。
それなのに拒絶したり、軽蔑する必要などない。
人の愛情や信頼、繋がっていく関係は思うより弱いかもしれない。
だからこそ、その経験で知らなければいけない。
取り戻すのは、容易じゃないんだと。
大切なものを見失っては、大切な事を失うだけ、と。

最近、息子が気持ち悪い。

パパとの馴れ初めを聞いてきたり、『恋って何?』という質問を

繰り返しては、なんだかニヤニヤしていた。

あーキモチワルイ!!

隠しているつもりでも、全然隠れてないんだよねー。

だから、突っ込んで聞いてみると好きな子がいて、仲が良いらしい。

休み時間には二人で過ごしたり、一緒に下校してみたり・・・・

しかも、小学3年で家まで送るという紳士的なお付き合い。

そのうち、一生好きでいるだの、結婚するかもしれないだの、

気色悪いぐらいに熱烈に想っている。

でもさ、彼とは長い付き合いだから分かるんだよね・・・・

息子は、ラブコール送られただけで好きになる。

そして、あっという間に夢中になっては、結婚を考える。

それから、気づくのだ。

自分だけを好きでいるわけではないことを。

後は、醒めるのが早い。

そんなとき、必ず聞かれることがある。


『人って、一度に沢山の人を好きになれるものなの?』


・・・・息子よ。

好きと云われただけで、好きになれるもんなの??

アンタは、熱しやすくて冷めやすくて、それでいてすぐ恋する。

しかも、好きと云われたはずなのに振り回されるんだから。

そんなんじゃ、ちっともモテやしないわよ!!