いつも、通勤するときに通る田園がある。
水を張った田んぼが、ここ最近になって緑を増した。
今までに味わったことのない匂い。
驚くぐらい、昨日と今日では背がぐんっと伸びる苗。
見渡す限りの緑を、私は自転車で駆け抜ける。
朝から、トマトが緑から赤に変わっている様子を見たりする。
ナスやトウモロコシを見て、妙に和んだりもする。
自然界の色は、鮮やかな発色で癒されてしまう。
ちょっとした、ささくれだった気持ちも、笑えそうにない心持ちも、元気を取り戻させる。
こんな風景がたくさん広がっていたなら、人間は見失ったものを取り戻せるかな?
グレーが続く世界で生きるより、鮮やかな色がある中で生きたい。
心を動かすものは、いつだって傍にある。
心に響くものは、人間だけが作り出せるわけじゃない。
この空気をいっぱい吸って、
この自然をいっぱい感じて、
この色達にいっぱい癒されて、
さぁ私らしく、行きますか!!

かなり、ビタミンをみなさんから戴きました!!
本当、愚痴ばっかでごめんなさい。
だけど、本当に心から感謝します。ありがとう!!

昨日、悩んだ末に勇気を出して云ってみた。

いくら1人で思い悩んだって、相手に伝わらないと思ったから。

勇気を出して云うなんて、大げさ!!って思うかもしれないけれど、

必ず大声で返されるから、心の準備をしておかないと負ける。

でも、結局TADが云っていいよと云ったのに

云っている途中で、大声で言い返されてしまった。

私の話を、今まで一度も最後まで黙って聞いてくれたことなどない。

私は、怒鳴られるのが大嫌いだ。

だって、大声で言ったり、怒鳴ったりするのって威嚇行為だもん。

相手が何も云えなくさせる、強行手段だもの。

自分が言うだけ云うと、後はもういい、で終わり。


私は、何だ?

私は、何なんだ?

彼にとって、どんな存在なんだろう。

喧嘩するたび、いつも疑問が湧く。

大切な人の言葉を聞き入れることが、そんなに難しいのかな。

決まって、状況を理解してない、忙しいのに時間がない。

そんなの分かっている。

だけど、気持ちを汲み取ることや向き合う姿勢というのは

そんなに手間取り、時間を要することなの??

たった一言、『もう少し、気持ちを配ってあげれば良かったね』とか

『少し、心無いこと云っちゃったね、ごめん』で済むでしょう??

いちいち、大声で云わないで欲しい。

私には、喚き散らす子供か、裏社会で生きる方々としか思えない。

結局、いつものように何も解決してない。

分かってほしい、という気持ちを持つのはTADだけじゃない。

状況を理解して欲しい、と思うのはTADだけじゃない。

傍で生きる人にも、我慢したり、嫌だなと思う、心がある。

隣に居る存在にだって、心遣いが欲しい気持ちは生まれる。

たった、自分だけじゃない、と思う気持ちがあるだけで心配りは出来るのに。

大切な人の言葉でさえ、あなたの心に響かないのなら

一体、誰の言葉なら、あなたの心に届くのでしょうか?

私は、棚上げをされるのが嫌い。

自分が放った言葉の意味に無頓着な人も苦手。

『もしも自分だったら・・・』って、立場を代えて物事を考えて欲しい。


この頃は、家族ってなんだろう?と思う出来事が多い。

みんなで仲良くなるためには、相手の立場に立たなければならない。

もし私が、TADだったら。とか、もし私が、息子だったら。とか。

妻として、母親として、家族だからこそ心を配ろうと思うのに。

苛立つのに、原因がなくて苛立つことはないし

怒るのに、意味も無く怒るほどエネルギーはない。

どうして苛立ってしまったのか?って考えてくれないのかなぁ・・・・

云いたい事は、いつだって山ほどある。

なのに、時間も聞く耳もどこにあるんだろう??

家族を持つということは、1人じゃないってこと。

だけど、その分、家族に囚われる時間も多いし話し合わなくてはいけないこともある。

今のところ、私にはそれが足りないように思える。

ちゃんと向き合いたいのに、なんだかなぁなぁになってしまう。

楽しいことばかりが、家族じゃないのに。

時間も負担も、責任もオプションとして付いているんだけどなぁ!!


私は、繰り返し繰り返し、同じことをぶつける。

自分が納得するまで。

でも、何も変わらないとき、気づいてもらえなかったとき。

もう止める。努力することも、向き合うことも。

それは、終わりに近づいていくか、諦めてしまうか。

許容範囲を超えると、怒りも苛立ちも湧かない。

むしろ、どうでもよくなってしまったということなのだ。