
来週に、沖縄へ行くこととなった。
そしてとうとう、おばぁに挨拶することになり、息子は有頂天だ。
息子から見たら、おばぁはひいばぁとなる。
ちょっと大丈夫かしら?と心配になり、おばぁに会ったら何て云うの?と訊いてみた。
『うんとね、おばぁに会ったら・・・・パパを下さい!!って云うッ!!』
すでにパパなのに、下さいって・・・
でも『パパを下さい』という気持ちは解いてしまえば、
『パパを僕のパパとして、いいですか?』ということになる。
息子が恥ずかしがらずにその気持ちを云えたのは、
その気持ちを大事にしているから。
とても、とても大事にしたい気持ちだからだと思った。
大好きなんだろうね、パパが。とっても。
だけど、それはね。
息子が想うだけじゃ、そこまで想う強さは生まれなかったんじゃないだろうか。
子供が親に対しての片思いは、満たされなければ憎む事しか出来ないのだから。
息子の愛する気持ちや、甘えたい態度や、守ってもらいたい心。
きっとそれを自然と受け止めるパパがいたからこそ、
息子は誰からも、『僕のパパになってもらうことを認めてもらいたい』という
気持ちを生み出す心が、何処かで紡ぎだされるようになったのではないだろうか。
息子の中でパパの子として生きようとする、生きていこうとするもの。
その心は、簡単には生まれないし、簡単には思えない。
けれどもその心を生み出させたパパは、
一筋縄では敵わない愛情を注ぎ、
少し大きくなった息子を構わずに膝に乗せ、
いつだって抱きしめていたのだから。
1人では紡ぎだせないものが、今ここに織りなされている。
ちょっと羨ましくて、そしてちょっと寂しいけれど。
時々は織りなされたものに、色を継ぎ足してみようと思う。
『パパを下さい』は。
息子にとって、愛する父親への自分が出来る精一杯のことなのかもしれない。
パパにとって、愛する息子からの贈り物になったのかもしれない。