明日から、沖縄に・・・逃げます。
大人的現実逃避上等です。ええ、とっても。
そんな私も、自らの逃亡確保のため何やら残業やら、送別会やら
こなしては全て途中で投げて来ました。いいんです、そんなものは。
私だって、一応身だしなみは大人ですもの。
鳴り響きっぱなしの電話の対応は、明日のバカンスを思えば
『あの~私は、もういません。もう、いないんです。』と、
意味不明な言葉で相手がたじろんだ隙に、切って差し上げます。
新しいリーダーもっさんに、『ねじの話は、もう止めて』と云いつつ、
もっさんのポケットマネーで自転車を買ってもらう今日の使命を果たし終えました。
もっさんの『会社から下りる金じゃ足りないよ』とのお言葉に
私は、世の中のしくみをとくと説いてあげました。
『足りない分は、あなたが出せば問題はすぐに解決するものです。』
本日も、小豆の送別会が急遽行われ招集がかかりました。
私もお世話させて頂いた身分ですので、明日のバカンスがちらつく中
出席も止む終えませんでした。
ですので人より先に帰らせて頂き、小豆の『ありがとうございました、姉様』
という言葉に過剰反応しまして、私もつい、『ったく、今度呼んだら煮るよ!!』
と、締めくらせてもらいました。
なにせ小豆は違う部署に移るだけなのに、なぜ送別会?と
私にも摩訶不思議事項なのです。
あぁなんて、迷惑な同僚達なのでしょう。

そんなわけで、明日からバカンス沖縄です。
ただ、本当はそれだけをお伝えしようかと思いましたが
全ての出来事が私のバカンスを邪魔するので、つい憤りを感じてしまいました。

またのご利用、心よりお待ち申し上げております。
なんでだか分からないのに、哀しい、という感情は
渦を巻いているような、見えないものさえ見えるような
何処の域に入れば哀しくなるのか分からない曖昧な、
それでいて、もっとも人を優しくも強くもさせる。

もし近くにいて欲しい、と願ってもいいのなら
楽しい気持ちや笑っている時間を共有するのではなく、
悲しみや怒りを共有していたい。
1人で抱え込むことほど辛い事はないのだから、
お互いに同じぐらいの悲しみや怒りを分かち合いたい。
それは、相手に最も近づくということ。
相手を自分の鏡としている、ということ。
知らない誰かと距離を縮めるのは、楽しくて笑えるとき。
知っている誰かとの関係を深めるのは、悲しみや怒りを知るとき。

出来る事なら、真っ直ぐ見据えていたいものだけど
大きな悲しみは、ときに人を歪ませることもある。
そして、それを知らなければならないときがある。
抱きしめる腕が、強ければ強いほどいいときがある。
疲れた。
何に疲れたのかも、全然分からないけれど。
起こった出来事になのか、自分なのか、状況なのか。
思い当たると云えば思い当たるのに、分からないままにしている。
懐かしい匂いや、季節が変わっていく音をみつけたり、空を見上げると
全てを空っぽにしたくなる。無でありたくなる。
沢山の矛盾や、沢山の愛情や、沢山の事実を繋ぎ合わせて
私の中で色んなものが存在しているんだ。
そして、そんな世界が正しい結果を生むのか?というと、判らない。
本当は正しいことなんて、何も判らないし知らない。
そうやって自分で繋ぎ合わせて
此処まで歩いて来た私には、正しいとも云えない。

例えば、決して愛だけが幸せなんじゃない、と思う。
だけど心から誰かを愛していなければ、
気づけない沢山の物事はある。
それはありふれた愛の形だとしても、確かではない何かでも、
誰かを愛していなければ、ありふれた感情さえ何だか判らない。

『幸せ』という形があればいいのに。
そしたら、其れを目標とすることが出来るのに。