こんにちは!
前回の武智さんからバトンを頂きまして今回このブログを書かせて頂きます
山本匠馬(しょうま)と申します。
前回の武智さんの内容にもあるように
今回の「星のバッキャロー!!」はとてつもなく濃い作品となりそうな予感が
稽古を通して今、感じております。
…え?武智さんは相変わらずかって?
…そんなの"言わずもがな"ってものです笑
ご存知の方はご理解頂けるとは思いますが、
かの「もっと歴史を深く知りたくなる」シリーズでは
大変お世話になっておりますし、この「バッキャロー!!」シリーズでも
とてもご縁を感じての今回共演させて頂くことは僕にとって大変光栄な事であります。
稽古が終わり、「よし、第ニ稽古場行こうか!」と口火を切る武智さん。
その言葉にすぐ呼応する僕でございます。
…察して下さい笑
(第ニ稽古場とはいわゆる、"飲みの場"でございます)
そうして夜な夜な熱い話を聞けるのは、僕自身が武智さんのことを
改めて好きなんだな〜と痛感させてくれるからなのです。
(ごめんなさい、ただの飲兵衛なだけです)
今回僕たちが生きる舞台は。
僕のお爺ちゃんくらいの世代を生きた1957年10月。今から62年前。
その当時の日本と言えば第二次世界大戦の終戦から12年。
戦争に負けた日本はこれからだ!と立ち上がろうと
復興に精を出している頃。
僕を含め、現代の人たちは何となく頭では理解しつつも今ひとつ
想像しにくい時代ではないでしょうか。
一口に"復興"と言葉で言いつつも何から始めたら良いのか
難しい時代だったのではないでしょうか。
その頃の日本人は何を考え、何を優先し、そしてどう生きていたのか?
恐らく、"必死に生きること"ではないかと。
死に物狂いで必死に生き、そして新しいものを追い求めていたそんな時代。
そんな中、復興としての象徴とされる電波塔(東京タワー)に
想いを寄せて集まった人々のお話。
実はここだけの話、今作はほとんどフィクションじゃないらしいです。
僕の演じる須田瑛作という人物は橋梁鳶の若頭。
上司にあたる"親分"に身を拾われて、紆余曲折ありつつも
しっかりと鳶の仕事をする"ボーシン"です。
ボーシンとは"棒に心"と書いてボーシン。
つまり、鳶の芯を示します。
もしかしたら彼がブレれていれば現在の東京タワーもブレていた?・・・
かもしれませんね。
それくらい若頭というポジションは過酷な立場にいたのかもしれません。
それにしても、当時の鳶職人を調べると驚愕します。
朝、日の出と共に作業を開始し、夕方4〜5時までの実働約12時間。
命綱なしで、声を出し合いながら、そして風に吹かれながらの作業。
8人でおよそ1トンの鉄材を運び、地上何百メートルの鉄骨の上で
ひょいひょいと移動し、約20メートル下の作業員から800度に熱した
リベット(鋲)を上の作業員に素早く投げ渡し鉄骨に密着させる。
そんなこと何十万回もやっていたんです。
まさに、死ぬ気でやれば怖いものなんてない、その境地ですね。
気になった方は是非、東京タワーを作った人達のことを
調べて頂ければと思います!
現在、僕たちからすれば当たり前のように建っている東京タワー。
それがまさかそんなアナログなやり方で建てられていたなんて…
そして、建てた人達の想いがそんなにも込められたタワーだったんだと
思って貰えるような作品にしたいと思います!
さて、次回のブログバトンのご担当は、先程にも書かせて頂いた
親分役を担って頂く鬼久保鉄治 役の幹山恭市さん。
今回、僕は初の共演となるのですが、それはそれはとてもとても熱く、
そして大変お優しいお方です。
(見た目は少し怖いのですが…笑)
そしてなにより、この当時の昭和30年代を幼少期として過ごしておられる
大変貴重なお方です。
当時の面影を言葉ではなく、情景をしっかりと僕たちに
伝えて下さるのは何よりの事。我々共演者は大変感謝しております。
(見た目は少し怖いのですが…笑)
親分と若頭の関係として、これからも稽古に励みたいと思います!