「人はされたことを他人に行う」
この言葉どこで覚えたのかは記憶に無いんだけども、
心から心理をつく言葉だなと思うし、
いろんな時によく当てはまる現象だと思う。
例えば、、、、
よく人を叱る時に恫喝する人が会社にいるんだけども、
きっとこの人は人から恫喝されたから、
(他人にやってもいいんだと思って)
人にやってるんだなって思ってしまう。
後は、、、
仕事は見て覚えろっていう人、
きっと仕事を教えてもらったことがないから
教えなくてもいいと思っているんだろうなとか。
他にもあって、、、
新卒の男の子が10も先輩の私に(私が知らないことを)丁寧に教えてくれることがある
会社からこういうトレーニングが来てましたよとかそういったお知らせを手順と共に取りまとめてくれたりするのね。
状況的に私の仕事がとてもハードな時だったので、察して動いてくれのは間違いない。
それを見て、この子は困っているときは助け合う環境にいたんだなって思った。
損得なしに動ける彼はきっと、そうやって無償の行為を周りから受けてたんだね。
そう、きっと周りに大事にされていたんだな
何が言いたいのかと言うと2つあって
1つ目は、ちょっと痛い人(例:上司)の痛い言動を見た時に
「もしかして、、、この人は昔、今おのれがしていることを誰かにされたのかな?」
と思うだけで、少し気が楽になるということ
何で気が楽になるかって
その痛い人っていうのは、人からされたことをママ他人にやるほど
弱い人間、もしくは考えの足りない人間なんだな と分かるからだ。
すなわち、これ↑がわかった時点で、もう痛い人と自分は同じステージじゃないのよ。
痛い人には分からない視点、及ばない視点を自分が持っている、
自分はこの真理に気づいていると言うだけで
すでにその痛い人と同じ場所には立ってない。
それが理解できると楽になるし、冷静になれるよ。
2つ目は、もし自分が怒鳴られたり、仕事は見て覚えろと無茶振りされたとして
痛い人と同じように、同じことを誰かに行うのを止めようねっこと。
それをやっちゃったら、
その痛い人と同じ穴のムジナになるよね。
毒親を持つ人でも同じような毒親になる人もいれば、素晴らしい親になる人だって居ると思う。
これは親からされた負の連鎖を全力でやめようって努めたからだよね。
同じことで、人から さられて嫌だなって思った言動は
自分のところで止めるんだ!って強く思い、その負の連鎖を止めるべき。
誰も見てなくても、自分は見てるんだから。
負の連鎖を止めた自分が好きにならない?
誰に見られてなくても、誰に評価されてなくても
自分の評価が一番大事だと思うのよ。
もし悲しみや苦しみが連鎖するものなら
(可能な限り)自分でその連鎖を止めるんだって努める人になりたいと私は思う。
例えば周りに
「だってこう教えられたんですもん!」なーんていう若造がいたら
「あなたがそう言う教え方を強いられて困ったんでしょうし、嫌だったでしょ。
今ここで負の連鎖を断ち切るのよ」って伝えるべき
強制は出来なんだけどね。その話はまた今後。
今日はこの辺で。
「人はされたことを良くも悪くも人に行う」生き物なんですねー