大人達の探索の声があばら屋の向こうへ消えていった。
「行ったみたいだよ」
振り返って声をかけると、そう、とセリが小声で答えた。

セリは全体的に色素が薄い人型の妖怪。

雄雌どっち? って聞いたら、どっちでもない、って答えていた。
「壮太(そうた)は、俺を匿って何か得をするのか?」
「別に。どうもないよ」
「なら、俺を捜索している人間達に知らせればいい。俺を匿っている事実を知られれば、お前が罰せられる」
「得はしないけど、セリが捕まるのは嫌。捕まったら殺されるんだろ? セリの処刑なんて見たくない」
セリはきょとんとした後に、顔をゆがませるように笑った。
「セリ」
「何?」
「せっかくきれいなんだから、どうせならきれいに笑ってよ」
セリはまたきょとんとして、クスクスと声を出して笑った。
「変な子ども」
「セリと対等に話せている時点で自覚しているよ」
「本当に、変な人間の子ども」
セリはひとしきり笑った後、俺をまっすぐ見て、ふわりときれいに笑った。
「でも、ありがとう」
それに俺は満足する。

やっぱりきれいなものは失いたくないな。


ゆらゆらと水面に浮かんでいたら、ぐいっと腕を引き寄せられた。
「ビッ…クリしたぁ。水死体かと思って思わず掴んじゃったよ」
「……そこまで後悔することないと思いますけど、大城(おおしろ)先輩」
「何していたんだ? 市居(いちい)」
「切り替え早いですねぇ、相変わらず」
この人のペースについてこられる人はいるのだろうか。
「浮いていただけです」
「それもそれでどうかと思う」
「私もそう思います」
「何なの? 市居」
俺、お前がわかんない、と子どものように顔をゆがませる。

かわいい人だ。
「こんな池のど真ん中で浮いていたら、大城先輩が水死体と間違って助けてくれるかなぁ、って思ったんです」
「えー、それ、本当?」
「嘘ですけど」
「否定が早いね」
やっぱりわかんねー、とますます大城先輩は顔をゆがませる。

私は思わずにやけてしまう。
「大城先輩の、そういう顔が見たかったんです」
「それは本当?」
「どっちか」
何それー、と叫ぶ大城先輩は、やっぱりかわいい。

大好きだ。


目の前でパタパタと手を振っているのが認識できた。
「起きてる? わかる?」
「……その声は確か、飛鳥(あすか)さん」
「正解です。おはようございます、道臣(みちおみ)くん」
「……おはよう、ございます?」
あれ、朝だっけ?
「今、夕方」
「……だよねぇ。なんか、朝の挨拶した気がするし」
「意識失ってたよ、道臣くん。根詰めすぎじゃない?」
「そうみたいだねぇ…」
飛鳥さんに指摘されたら終わりだ。
「今、何考えた? 道臣くん」
「ごめんなさい」
「私に謝るようなことを考えていたんだね」
そう言って強烈なでこピンを放ってきた。
「痛ってぇ!」
「おはようございます、道臣くん。これでよぉく、目が覚めたのではないでしょうか」
「……はい、目が覚めました。ありがとうございます、飛鳥さん」
「素直でよろしい」
ようやく機嫌が直った飛鳥さんにほっとする。
「道臣くん、これから会議だから」
こうやって最後に重要なことを言うのは、やめてほしいけれど。


半田(はんだ)の家に来たけど、目当ての人物がいなかった。
「楡(にれ)は?」
「森の方」
くわえ煙草のまま食器を拭いている半田が、あごで窓の外を示す。

俺も自然と窓の方を向いた。

ひらひらした薄緑色のスカートを翻しながら、楡が森の中へと入っていった。
「半田、追いかけなくて良かったのか?」
「陸奥(みちのく)こそ、楡に会いに来たんだろ?」
遠慮せずに行けば良かったのに、と投げやりな様子で半田が告げる。

俺は盛大にため息をついた。
「あの状態の楡に、俺が認識されているわけがないだろ」
「まあ、そうだな」
トランス状態の楡は、森の声しか聞こえてないし、と半田もため息をついていた。

俺は手近のいすに腰掛ける。
「半田は、なんで楡をここに住まわせる気になったんだ?」
「今更の質問だなぁ」
まあ、確かに聞かれたことなかったけど、と半田は食器と布巾をテーブルに置いて、俺に向き直る。
「俺は、まあ、あれだ。ただどうしようもなく、楡に側にいてほしかっただけなんだ」
まっすぐ答える半田に、俺は何も言葉が浮かばなかった。

楡は、半田の想いを知っているのだろうか。

もう一度窓の方を向いたけれど、薄い緑色は、もう見えなかった。


「ぎゃああああ! なんでこんなことになってンのおおおお!」
扉を開けた瞬間の惨憺たる有様と言ったら、もう、筆舌しがたい。

私の部屋の原型がないんだけど。

私の愛用品たちが、ことごとく汚泥に埋まっている、って、どうしたらこうなるの。

ここら辺が洪水になったって聞いてない。

むしろ私の部屋単独狙いで洪水が来るってどんな確率。
「お、アリサおかえりー」
私の背後から声をかけてきた翔(かける)がのんきな声であいさつする。

私はギッと翔を睨みつける。
「これはどういうこと!」
「うん、見たまンま」
ちょっとねぇ、仕事で汚泥が出ちゃったから、ここに入れちゃったんだよねぇ、とやっぱりのんきに返事をしている。
「翔って本当、ろくでもないことしかしないよねえええええ!」
翔のあまりのあれさにもう、うずくまるしかない。
「あ、泣く? 泣く? アリサ、泣く?」
「泣いてたまるか!」
「えー、泣かないのー? 俺、アリサの泣き顔好きなのにー」
「マニアックな! というかサディストじゃん!」
「それも愛」
「嘘つけええええええ!」
翔の胸ぐらを掴んでブンブン揺するけど、まったく堪えた様子がない。

どうしよう、本気で泣きそう。


「うお! なんでそんなとこにはまってンだ!」
川蝉(かわせみ)が超ミニの一人がけソファに横向きに座って、本なんか読んでいた。

狭くないのか、っていうか、ほとんど箱じゃね?
「うっさいなぁ、帆立(ほたて)。これが一番おさまりがいいからいいんだよ」
川蝉がジロッと俺を睨みつける。

この人、本当、女のくせに口が悪い。
「柴(しば)ぁ! 帆立がうっさいんだけど、どうにかしてくンね?」
川蝉が背もたれの向こうに向かって叫ぶ。

と言うか、
「柴ぁ!? いたのかよ! 全然気配なかったんだけど!」
一応部屋の主なんだから存在感を持てよ。

俺と川蝉の言葉に、ぬぼうっと背もたれの向こうからボサボサ頭が見えた。
「柴。そこで何やってたんだ」
「ああ、帆立か。いたのか。さっきまでパソコンの修理していて没頭していた」
黒縁眼鏡をどかして目頭をもんでいる。

相変わらず一つのことに没頭すると周りの音が聞こえてこないんだな。

ついでに気配も消えるんだな。
「柴ぁ。帆立が私の読書の邪魔すンだけど。こいついい加減追い出さね?」
「川蝉ぃ! 何言い出すんだよ!」
「うっせぇよ、帆立! 黙れ!」
「それ以上騒ぐと、お前らも解体・修理するぞ」
柴の言葉に俺と川蝉は固まる。

やっぱり製造者には逆らえない。


慈しむということを、香苗(かなえ)は自然とやってのける。

それは、動物に対してだったり、子どもに対してだったり、友人に対してだったり、…恋人の俺に対してだったり。
「優介(ゆうすけ)は私を過大評価しすぎだよ」
俺の言葉を聞いて、香苗は苦笑を浮かべる。

その笑い方すら、慈しみを感じているというのに。
「あのね、優介。私だって、自信がないときは、あるんだよ」
そうなの?
「そうだよ。難しいことではあるけれど、ただ、幸福に笑みを浮かべてくれればと、願いながら行動を起こして。でも、その行動で逆に笑みが消えることもあって。それでも、愛さずにはいられないことだってあるから、行動を起こすことをやめられないんだ。優介、私はね、単に、あきらめが悪くて執念深いだけなんだよ」
そう言って香苗はまた苦笑する。
「だから優介、優介が自分自身をおとしめる必要はどこにもないんだよ。慈しむ心がないなんて、思わないで。私はいつだって、優介から慈しまれているって思っているもの」
ねぇ、そう思うのは、私のただの思い違いなのかな?

香苗はまた笑顔を浮かべる。

それはどこか自信がなさそうで、頼りなさそうで。

だから自然と手が伸びていた。

コードにつながれてばかりの手だけれど、それでもうれしそうに泣きながら、香苗は俺の手を握って、頬に寄せていた。

もう声は出ないけれど、それでも伝えられる想いを信じて、香苗の頬を包み込んだ。


「遠くへ行かなければならない気がしたんだ」
藁をトラックの荷台に敷き詰め終わった後、夕焼け空を見つめながら皆木(みなき)が呟いた。

一瞬、独り言かと思ったけれど、呟いたあとに私の方を振り返ったから、私に言ったんだと気づいた。

トラックの周りを掃除していた私は、皆木のようにトラックの荷台の縁に腰掛ける。

そうすると、皆木はまた夕焼け空に視線を戻してしまった。
「新田(にった)を置いて、どこかへ行かなければならないような、そんな衝動に駆られたんだ」
しばらく二人で黙っていたけれど、皆木がまたポツリと呟いた。

それは決して穏やかとは言い難い内容だったけれど。
「皆木は、私を置いていきたいと、思ったってこと?」
「俺にもよくわからない。ただ、新田を、俺から離さなければならない、って、思うときがある」
なんでかな、ここはこんなに穏やかな土地なのに、と皆木は自分のことながら不思議そうだった。
「一緒にここに来たのにねぇ」
「そうなんだけどね。二人でここを選んだはずなのにね」
俺は、来てはいけなかったのかもしれない。

皆木は、とても小さく、本当に、私に聞こえるかどうかという声の大きさで、呟いた。
「皆木はそう言うけれど、私は皆木と一緒がいいな」
いなくなったら、嫌だな。

ごくごく軽い調子で、私も呟く。

皆木は薄く笑うだけだ。

そんなことで気づいてしまった。

皆木はやっぱり、どこか遠くへ行ってしまうんだな。

私はきっと、止められない。


「ああああもうっ、本当にもうっ、何やってるんですかっ、先輩!」
なんで部屋をぐっちゃぐちゃにしてるんですか!

と後輩の畑(はたけ)がわめき散らす。
「それはお門違いで筋違いというものだよ、畑くん」
俺はそんな畑などまるっきり無視して作業を続ける。

はんだごてでの作業中なんだ、静かにしてくれ。
「ちょっとおおおおっ、聞いてるんですかっ、先輩!」
「だから聞いてないって。ついでに俺を責めるのは見当違いだって言ってるだろ。この状態は俺のせいじゃない」
「じゃあっ、先輩の他に誰がこんなことするんですか!」
ほらっ、俺の道具類とか作品類とかめちゃくちゃですよ!

と畑が必死に訴える。
「真島(ましま)」
俺が一人の人物の名前を言うと、畑はピタッと停止する。

行動停止、思考停止、心臓停止にはなっていないことを祈る。
「………。ちょっともうぅぅぅぅっ、あの人はあああああ!」
突然動き出した畑が頭を抱えてうずくまる。

そんなところに件の真島が帰ってきた。
「たっだいまー。お、畑じゃん。ちょうどよかった。お前の道具類とか作品類とかさぁ、私の作業に邪魔だったから、思わずどかしちゃった」
てへっ、とかわいくも何ともなく真島が事実を突きつける。

畑はますます叫ぶ。

早く静かにならないかな。


秋月(あきづき)は只今非常に機嫌が悪い。

なぜなら、
「なんでここに部外者がいるわけ? ここって、部員以外立ち入り禁止のはずですけど。どういうことですか部長。説明してくれます?」
明らかに学生ではない子どもが部屋にいるからだ。

しかも、本来なら追い出す役目にあるはずの部長の膝の上に乗っている。

はなはだむかっ腹が立つことこの上ない。
「小堺(こさかい)が入れちゃってね。すごいんだよ、この子。この部屋に入るには様々なパスワードが必要なのに、それ、全部クリアしたんだ。小堺が思わず間違うくらい」
門番の小堺が間違うくらい完璧な部員のなりすまし。

それをわずか十にも満たない子どもがやってのけた。

あ、まずい、と秋月は思う。

部長の興味対象のドンピシャだった。
「と、いうわけだから、この子もこれからうちの部員ね」
「えー!」
「言っておくけど、秋月に決定権は何もないから」
すべて部長の俺が決定するからね、秋月の時もそうだっただろ? と部長はにこにこ笑っている。

それを言われれば秋月もぐうの音が出ない。
「じゃ、さっそく部員名簿に名前を記入してね」
「はーい」
部長の膝の上でよい子の返事をする子どもに、秋月は思わず心の中で叫んだ。

そこは私の場所だ!

立ち入り禁止!