”人権ぶる”弊害に気づこうよ | 明日通信

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 福岡市の中学校の修学旅行で女子生徒が風呂上りに先生から体を十分にタオルで拭いてないか裸のまま「水滴チェック」され、複数の生徒が帰宅して親に「気持ちが悪かった」と話し、その声が新聞社に届いて調べられ、行き過ぎではないかと批判的な視点で報じられたらしい。

 

 おまけにこの一件に対し、東京の女性弁護士さんが「プライベートゾーンが曝されることは許されないと(教育者は)指導すべきなのに時代錯誤の指導だ」と断罪している

 

 福岡では以前から行われていたらしく、先生も「見直す考えはない」とコメントされていたが、当然であり、子ども達に社会教育をしていく上で何が悪いのか批判する人たちに聞きたいなと思う。

 

 僕もかつて数年間、30人余りの子ども達を夏のキャンプの形で預かり生活したことがあった。可愛いいい子たちではあったが、僕らの子ども時代とは違い、風呂は各家庭にあり、ある意味、勝手気ままな入浴で、タオルを湯の中に持って入る子ども、ところかまわずシャワーを浴びる子ども、身体をソープで洗い、十分に洗い落とさないまま湯船に入る子ども、洗い場の椅子を放りだし、湯桶の湯も残したまま片付けず、後の人のことなど考えられないままだった。家族だけの家の風呂なら許されるが共同湯では許されるものか。子ども達の多くは間違いであることに気づいてなく、その後、教えて気づき、快く従ってくれた。

 

 問題の「水滴チェック」だが、共同風呂の経験があまりなく、お互い恥ずかしさから体を拭くよりも下着を早く着ようとしてほとんどの子どもが濡れたまま、「風邪をひくよ」と拭き直させたのを記憶している。

 

 濡れたまま床を歩くのだから床は水にぬれ、滑るほどではないが見逃せない光景である。子ども達に共同生活のあり様を考えさせ、社会性を身につけさせるにはまたとない指導機会ではないだろうか。

 

 中には抵抗を覚える人がいてもおかしくない。でも、非常識のまま大人になるよりも学校時代に先生に教えて貰うのが余程いいとは思わないだろうか。

 

 今の世の中、「人権」の言葉を持ちだしたら話は通じると考える人が多くなった。「人権」ってナニ? 「人権」の意味、どれほど理解しているのだろうか。人の粗探しして、暴いて、反撃の防御策として「人権」を利用しているだけではないかな。

 それ「人権ぶる」ということかも。もっと深く考えたいものだね。