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「縦欲の病は医すべし、而して執理……」―菜根譚

   (守屋洋著「中國古典 一日一言」より PHP文庫)

 

 ・縦欲之病可医、而執理之病難医

       (縦欲の病は医すべし、而して執理の病は医し難し=しょうよくのやまいはいやすべし、しかし

        てしゅうりのやまいはいやしがたし)

 

 「私欲にこりかたまった病は治すことができる。だが、理屈にこりかたまった病はどうすることもできない」という意味だ。「縦欲の病」も、かなり重症である。だがこれは本人が何かを悟るとか、まわりの情況が変わるとか、ふとしたキッカケで変わることがある。実際に、そういう例が少なくない。

 問題は、「執理の病」である。「執理」とは、理屈っぽい、頑固、さらに言えば、自己主張が強い、人の意見に耳をかさない、といった欠点だ。自分の意見を持つことはよい。それはむしろ、社会人としての必要な条件である。だが、それをかたくなに固執して譲らないというのでは、自分の進歩もないし、まわりとの人間関係も円滑にゆかない。過ぎたるは及ばざるがごとしで、せっかくの美点も欠点になってしまう。

 「執理の病」が医(いや)しがたいのは、性格からくるものであるからだ。まずその欠点を自覚することが治療の第一歩となろう。(原文ママ)