「おじいちゃんは自慢しい~」に映るんだろうナ | 明日通信

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先日我が家で次男家族と夕食をした後、くつろいで話をしている時、六年生の孫が「おじいちゃんは自慢しい~やからなー」(大阪弁)と笑いながらしゃべった。

「そうやな、オマエの身長がもう170㎝に届くほどになり学年で1、2を争うほど大きくなり色々なことで活躍している、うれしくて自慢したいワ」、「僕も友達に時々いわれるけどナ」と。

僕の話が「自慢」と受け止められるのは珍しくない。僕としては普通のことを普通に話しているつもりだが、聞かされる人には時として「自慢話」に感じて不愉快になるだろうなと思っている。

しかし、これには幼いころから話にはっきりとした“境界線”があり、一方の事をほとんど口にしないため、口にするのが「自慢話」に受け止められていると思っている。

というのも、なにせ戦中生まれの戦後育ち。父親はとにかく“男”にうるさく、痛い、つらい、苦しい、疲れたなどの弱音は許してくれなかった。「痛い」、「つらい」を口にしようものなら3歳、4歳のころからゲンコツが飛んだ。しかし一面、バカの付くほどやさしい一面があり、「父親の言うこと、やることは正しい」と思いながら大きくなった。

だから軽い話の中で「痛いナー」、「しんどいナー」は口にしても僕の日々の仕事、暮らしの中に弱音はほとんどない。それにビジネスの世界で、長年、傍にいて目をかけてもらい教えを近くで受けた人が小説「どてらい男(やつ)」の主人公“モーやん”のモデルになった㈱山善の創業者 山本猛夫氏。この人の一代記や語録を書かせてもらった。

この人は、14歳で大阪に丁稚奉公し、苦労を乗り越え一代で株式一部上場会社を築き上げたレジェンド。とにかく厳しく、「つらい」、「しんどい」といった言葉を口にすると厳しい言葉が飛んできた。この人のもとで育った人たちに共通する思い出だ。しかし、つらい経験の中でいかにして乗り越え上を目指したか、成功したか、語って聞かせてくれた。聞く人によっては「また自慢話か」だったが、よく耳を傾けると“一つの法則”があった。

決して他人を悪く言わない。厳しい目に会っても、自らを誇りに「よし次」、病気などで苦しみを味わっても顔色一つ変えず笑っていた。その分、自分の考えを話し、自分のことを説明する。それらが僕の中に根をしっかり下ろしている。

僕の人生を語り、思いを隠さず話す。自慢話になるのだろう。聞き捨てならない「自慢話」であれば流してもらうことにしよう。スミマセンネ。