11月末からあれこれ用に追われる日々だが、今週は特に、出かけることばかり。
月曜はゴルフ、火曜は大阪のデパート、昨日は大阪のうちの店近くのロイホで元の会社の、81歳になる先輩と昼食の約束があり昼前、車で。
毎年、季節ごとに食事を共にするのだが、近年はこのロイホを先輩がたって希望し「あの店で〇〇時」と電話かメールで一言伝えれば会えるようになっている。正午前に落ち合い、混み合う前に席を確保。いつもなら仲間として懇意のうちの店の“ママ”も同席するのだが仕事で来られず、二人で四方山話。
先日の電話で「風邪気味」との話だったが、「もう大丈夫、でも最近は内科、眼科、耳鼻咽喉科、外科と医者まわりで明け暮れています」とのこと。なるほどお互い元気だけが取り柄を自慢していたが、少し体も声も小さくなった感じ。オーダーする食事もいつものボリュームたっぷりの料理ではなく、メニューをしばらく後ろへ前へ繰って探し出したのがどちらかというと女性向けの皿料理。ドリンクも、好きだったコーヒーではなくオレンジジュース。「僕も、少食になりましたが先輩はそれ以上、時には無理してでも食べないと……」、「いやー、少量を一日何回に分けなければ食べれなくなりました。それにしてもおたくはちっとも変わらず艶々してうらやましい。強いていえば目が充血して疲れてるかな」、「ええ、書き屋の宿命みたいなもんです」
これまでは話し声が大きすぎるかなと周囲に気遣っていたが、今回はそれもなし。「知ってるかね」と話し出したのが、先輩と同じ会社代表者の専用車ドライバーだった後輩の死だった。数年前、突然、仲間との交流を断った。理由を明かされず、連絡しても返事がないとのことだったが、理由は病魔。その姿を見せたくなかったようで、12月初め、奥さんからの連絡で知らされたとのこと。先輩はショックで「順番が違うじゃあないか」と気落ちし、それが今回会って元気がない理由の一つだったようだ。
「気の毒に傘寿には届かなかった。その点、先輩は去年、そのラインを無事越えたんだから次は90歳、卒寿、それにはたくさん食べて、好きなことして、笑って、楽しまなくては……」。
話しているところへ仲間の“ママ”が用を切り上げて顔を出した。途端に元気が出て多弁になった。何でも話す。「コレコレ、コレとも遊びたい」と小指を突き出した。「それ、もう“差別”としてダメ、嫌われますよ」、「それにしても、むかしからオレのような人間がこの人(僕を指し)と親しくしている、親しくさせてもらっているのをみんなから不思議がられてましてね……」、「何ということを、意気投合し、人生を語り合い支え合う生涯の先輩、友人です、それはなしです」、でも女性が輪に一枚加わると先輩が元気に、ということはまだたっぷりエネルギーが残っているということかも、安心して次の再会を約束して別れた。
僕は今日も午後から大阪・北堀江のうちの店へ。明日は夕方、友人の社長とフリーの女子アナと三人の忘年会で大阪。ゴルフは今年、もうムリかなー。