昨日は昼過ぎから大阪の姉の家へ家内と。二カ月ぶり。
僕の狭心症の状況と入院検査治療の結果を、心配して繰り返し聞いてくる。都度、メールで何でもないことを報告するのだが、「あんたは悪くても悪いといわない」、顔を見たらわかるというので元気ぶりを見せるため車を走らせたわけである。
しかし、顔を合わせて「元気そうね」なんてお世辞めいたやさしい言葉はない。からだが小さくなり腰も少々まがってきたが、商売で大をなした元気で勝気な84歳のオバサンが、やってくるのが遅いとばかり、顔を見るなり機関銃のような速さで自分の日々のことをしゃべり聴かす。しゃべる目線の先は僕ではなく家内。このシチュエーションは血を分けた姉弟だけに姉の性分としてよくわかる。弟に対する心配が素直に言葉に出ないのだ。
僕も、病気や検査の報告は聞かれるまで一切しない。そのうちに「えらく日に焼けているけどゴルフ行ってるの」、「いや、やってない」、「そうやろネ。でも何で顔黒いの」、「育ちがいいからなあ、10分でも外に出てお日さんに当たるとこんなに焼けるんだ」、「そう、どこのお育ちの人やねん」で基本的な病気にかかわる話は終了。
あとは、深夜、「もう帰るよ」と言うまで、5時間、6時間、独演会に耳を傾けることになる。最近は体が少しシンドくなったからプールは週3回にして、泳ぐのも二、三百mとか。「そりゃあ、やり過ぎだよ」。
家では毎朝6時前に起きて、柔軟体操、神仏へのお供えとお参り、食事、掃除、新聞や雑誌熟読。食事もこだわり、体に合うといわれる徹底して選んだものしか口にしない。娘や連れ合いに先立たれ、一時は気落ちしたが自分がしっかり弔ってやらなければとの意識がより一層強くなり、「まだ死なれへんわ」。
「そうやな、その元気だとあと十年くらいは大丈夫。しかし100歳までだと後5、6年不足するなあ。そうや、口達者だから、せいぜい憎まれ口をたたけば10年はいける。そしたら先日亡くなった日野原先生に並ぶかもな」と僕。
しかし、最近は「一世紀を生きる」、どうやら本気になってきたようだ。その時、僕はとっくの昔朽ち果てているから関係ないけどネ。