福井投手への叱咤はいいが、批判は当たらない | 明日通信

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 8月11日、カープの対ジャイアンツ戦で久々に先発した福井投手が5回ツーアウトまで好投していたのに、三番坂本選手に対する一球の判定を境に崩れたことを、福井投手がインスタグラムに投稿したのに対しファンの厳しい反応があり、その思わぬ厳しい反応に福井投手は投稿を消したという話がネットで紹介されていた。

僕も12日、その件に「一球の判定に動揺し崩れた福井投手は、ナニクソと跳ね返す精神力を養ってほしい」「“誤審”も野球ゲームのうちだから」、しかし「あの判定は球審牧田さんの明らかな“誤審”、罪を感じてもらわなければ」と書いた。

インスタの“ファン”は「女々しい」とか「がっかり」とか「自らの不甲斐ない投球を(棚に上げて)」、「審判をリスペクトしなければ…」なんて厳しい反応だが、僕はやっぱり厳しい批判に対し「ちょっとそれは…」といいたい。

福井投手に対し「もう少し図太く、それであればもう一球同じところへ投げたろかくらいのハートの強さがほしいな」と、テレビの前で隣の家内に話したけれど、それはそれ、球審牧田さんの一球の“誤審”は、野球につきものとはいえ大変な「罪」を犯したことを感じてもらわなければいけないなと思っている。僕がカープファンだからではない、逆であってもその気持ちに変わりはない。

なにせ、僕らは丸や新井や黒田、あるいは菅野や筒香やと、ファンとしてプレーを見、ひいきチームが勝った負けたを楽しんでいればいいのだが、彼らは人生を賭けた職業なのだ。自らの過ちや選択で野球人生が壊れるのは仕方ないとして、第三者の一つの誤謬で人生を狂わせられるなんて、仕方ないなんて簡単に言えますかね。仮に厳しい言葉を投げかけたファンの人。会社員だとして上司の勝手な判断で仕事が壊れ、それをきっかけに自分の人生が望まない方向へ進み始めたら「仕方ない」で済まされるだろうか。

というのも昭和30年代初め、プロ野球の選手を二人ほど身近に知っていた。一人は二軍で4番打者、一軍でもいくらか活躍した選手だった。もう一人は才能豊かな捕手でスラッガーとしても期待されていたが、結局、大輪の花咲かずに去ることになった。本人たちの責任の部分もなくはなかったが、コーチなどまわりの都合がより大きかったように思っている。その二人の後々の人生を見た時、背負った運命なのかも知れないが、コーチをはじめまわりの人の順風満帆な野球人生を見るにつけ、「責任大きいな、罪なことをするなあ、仮にその罪をコーチ自身がかぶっていたとしたら二人の有望なや野球人生はどんなになっていたのかな。見てみたかったな」と今にして時々、思い出す。

福井投手のあの一球がストライクなら5回の表、ジャイアンツは0で終わり、チェンジになっていた。しかし、福井投手はあの一球のボール判定で坂本を歩かせ満塁、4番阿部選手を迎えることになった。もやもやとした気持ちのまま左の阿部選手に投げた初球がアウトコース高目、レフト線へ合わされて走者一掃の3点献上だった。

打たれた福井投手よ、「しっかりしてよ」、だが、あの一球から崩れ、最後の一人を中田投手に頼まなければならなくなっただけではない。崩れた福井への評価は大きく落ち、これからの投手としての役割も、収入にも微妙に影響し、取り戻すのにどんな将来が待っているか。仮にそれを自分に置き換えたら批判ばかりしておられるだろうか。一方の球審牧田さん、あれはもう過去のことで済んでいるのだから気楽だ。リスペクトできる? 昔の審判は少しおかしな判定をすると、両チームから時にとんでもない抗議で騒ぎになった。それだけに判定に自らを律し、一球に身命を賭けていた。二出川さんではないが、判定の抗議に対し「私がルール」というほど審判の仕事に対して日々勉強、努力を怠らず、自信と誇りを持っていた。そういえるだけのものを牧田さん、もっているのかな。胸張って言えるかな。

それにプロ野球選手は我々に夢を見させてくれるスターだけど、寿命の短い野球の職業人であることも考えてあげてほしいなと思うネ。