18歳と17歳の3人が… | 明日通信

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 中1の少年を殺害した容疑で18歳と17歳の少年二人、合わせ3人が逮捕された。

 20日深夜、川崎の多摩川河川敷で、カミソリのような刃物で無数切りつけて殺害、全裸で放置、脱がせた衣服を近くの公園トイレで燃やし証拠隠滅をはかった残忍で周到な行為。直後から犯人の的は絞れていたようだが少年犯罪は警察もよほど確かでないと動けず、逮捕まで時間がかかったと考えられる(三人とも今の時点では否認。かかわりは少し認めているようだ)。

 それにしても、殺された中1君は写真で見る限りまだ小さな子ども。そんな小さな子どもを仲間に引き入れ(引き入れたか、進んで入ったかはまだ分からない)、万引きを強要したり好き放題に使い走りさせ、言うとおりにしなければ暴行を加える。

 挙句は執拗に傷つけながら殺す神経とは、またどんなプロセスでそんな「感覚マヒ」の人間になって行ったのか。

 実は僕のその年齢の時代は戦後10数年、復興から成長へ向かい始めていたとはいえまちはまだ戦禍の荒廃が残り、親が戦死したり未だ帰還せず、そのため家族が食うや食わずの生活。こころがすさみ盗み、かっぱらい、ケンカ暴力は日常茶飯事。そんな中でのし上がる術は腕力、残忍で何をしでかすか分からないと思わせる振る舞い。それでみんなの上に立つと、何でもやれる心地よさを味わう。それだけではない、残忍な振る舞いをする中で(手下の注視の中で)自分の死を含め無感覚に陥ってしまう。

 当時の仲間のうち数人は母親や兄弟が身体を張って説得し抜け出させた。一人はまわりの救いもなく、暴力集団を率い、20歳過ぎに命を落としてしまった。僕はたまたま、まわりから敬遠されるほどの腕力があり、逆にそんな集団から遠ざけられ、集団から引き離した友人とは今も交流がある。

 ここで伝えたいのは、子どもの「それ」を感じた時、親やまわりの大人が身体を張って説得し、抜け出させ、こころ安らぐ環境を与えられるかだ。殺害した少年や周りにいたグループ、殺害された中1君の普通じゃあない生活、行動は周りはとっくに知っていたはず。その放置が悲惨な結末を招いたことに。

 18歳の少年が主犯、犯人と確定したわけではないが、確実性が高いとしたら、その18歳の父親がスグ弁護士を雇い、息子は犯人ではないと否定する発言は「親心」よりも遅すぎて空しく感じてしまう。

 子供にかかわりすぎるのもよくないが、どんな友人たちがいて、どんな時間を過ごしているか、大人が、まわりが近づかず、離れず見ていかなければならない。

 本当は、子どもは地域で育てるのが望しいのだが。