勝海舟「氷川清話」
【知恵には尽きるときがある】
■ 人間には、難局に当たってびくとも動かぬ度胸がなくては、とても大事を負担することはできない。今のやつらは、ややもすれば、知恵をもって一時のがれに難関を切り抜けようとするけれども、知恵には尽きるときがあるから、それはとうてい無益だ。
今のやつらは、あまり柔弱でいけない。冬がくればやれ避寒だとか、夏がくればやれ避暑だとか騒ぎまわるが、まだ若いのに贅沢すぎるよ。昔にはこのくらいの暑さや寒さに辟易するような人間はいなかったよ。そんな意気地なしが、なんで国事改良などできるか。
■ 昔の人は根気が強くて確かであった。免職などが怖くて、びくびくするようなやつはいなかった。その代わり、もし免職の理由が不面目のことであったら、潔く割腹して罪を謝する。けっして今のやつのように、しゃあしゃあとしていない。もしまた自分のやり方がよいと信じたなら、免職せられた後までも十分責任を負う。あとは野となれ山となれ主義のものはいなかった。
またその根気の強いことといったら、日蓮や頼朝や秀吉を見てもわかる。彼らはどうしても弱らない。どんな難局をでも切り抜ける。しかるに今のやつらはその根気の弱いこと、その魂のすわらぬこと、実に驚き入るばかりだ。しかもそのくせ、いや君国のためとか、何のためとか太平楽を並べているが、あれはただ口先ばかりだ。いつかおれの作った詩がある。
世事都児戯 世事都(すべ)て児戯
閉戸独黙思 戸を閉して独り黙思す
濛々六合裏 もうもうたる六郷(りくごう)の裏
独対旧山河 独り対す旧山河