スーパーで菓子の包みにつまようじを刺したり飲み物を万引きしたり(していなかったようだ)する自分の動画ををネットで流し指名手配されていた東京・三鷹の19歳の少年が今朝、滋賀・米原の駅で警察に確保、逮捕された。
犯罪を繰り返し世間の不安を増幅されてはこの上ない迷惑だから一安心だけども、19歳の男の子に罪を重ねさせないためにもよかったなと思う。
それにつけだけど、TBSのサンデーモーニングの後番組、サンデー・ジャポンでその事件が取り上げられた際、出演しコメントする全員が男の子を厳しく糾弾していた。世の中に挑戦的な男の子の犯罪、それに模倣犯まで出てきた事件の犯人に厳しい責任論が出て不思議はないし、僕も、どこまでも事件を起こした男の子を擁護するつもりはないが、犯行の動機などまだ何も分かっていない。
19歳に、この犯行を思い立たせ、駆り立てたのは何だったのか。育って行く過程で周囲が「すなおなこころ」を押し潰し、こころをゆがませて行ったのではないか。
やった行為は許されないが、これから男の子の行為やこころを解きほぐしていかなければ、この19歳はいっそうこころを閉じ、また世の中に挑戦的な犯罪を起こしてしまうのではないか、この子でなくても同様の人間をつくりあげてしまうのではないか。
サンデー・ジャポンが芸能的なバラエティー番組とはいえ、もう少し深慮したコメントがあっていいのではと少し腹立たしく思えた。
女装したタレントの厳しいコメントに「自分はまとも」との思い上がりを感じた。僕のように性同一性障害など社会的少数者、弱者といわれる人たちのことを真摯に受け止めているつもりだが、それを売り物にしてタレント化し、自分はまとも、その自分を棚に上げ、少年の犯罪を問答無用なんて。自分自身が女装して堂々とテレビの前に出るまでに屈折した時代はなかったのか。犯罪を犯した男の子は、もしかすると「屈折したまま救われず今にいたっている」かも。
よく考えず、出まかせにしゃべっている場が影響の大きいテレビであることを考え、慎重に言葉を選んでほしいなと思った。