対立で命を奪われる話ばかり | 明日通信

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 今朝の新聞の一面トップも昨日に引き続いてフランスで起きたテロに関連する記事。結局、最初の週刊新聞社で12人、新聞社襲撃犯の仲間が路上で女性警官1人、立てこもったスーパーで4人、併せ17人のが命を奪われた。

 同じ外信(国際)面で小さく扱われていたがウクライナで、(政府側の発表によると)親ロシア派による攻撃で兵士6人が死亡したという。

 もうひとつ、アメリカ・サンフランシスコで黒人男性4人が車の中で射殺されているのが見つかった。

 フランスの事件は明らかに宗教対立。宗教による「差別への報復」。

 ウクライナは政治的対立の要素が濃いい。

 サンフランシスコは射殺犯が見つかってないため動機、理由ははっきりしていないが、昨秋の黒人少年を警察官が射殺、以後、黒人と白人の対立が深刻化しているところから人種対立による殺人事件と推測される。

 昨日もフランスのテロに関連して人の命の軽さ、人の大切な命を純な他人を使って奪うご都合な人間や組織があることに触れたが、宗教や政治対立、人種差別によって世界で現在進行形、それも拡大一途。宗教、思想、生まれや育ちの違いによる対立は否定しようもないけれど、それで人の命を奪わなければならないものか。

 人の命を粗末にした話はまだある。政治権力による粛清だろう。北朝鮮に代表される権力政治の中で問答無用、簡単に命が奪われているように思える。

 といって日本もエラそうなことはいえない。戦時の消せない傷。それについ20年前のサリン事件、同じ日本人が多くの罪もない日本人を傷つけ殺害している。一方的な、理の通らない理由でだ。

 宗教よりも、政治よりも、人種よりも、どんな理由付けよりも人の命の方が重いことを一人ひとりが学ばなければならない。学ぶことで誰もが他人の命を奪う権利がないことに気付くように思う。

(最近、友人、知人、身近な人の訃報が続き、ついこの間まで親しく話し、ゴルフし、遊び楽しんだ人たちの死に、ただでさえはかないのに、他人に勝手に奪われる命に、許されない気持ちだ)